市川:それはありません。図夢歌舞伎は父が「これから100年続くだろう」と言ってましたけど、コロナのような状況からスタートしたにせよ、それとは関係なしに新しい歌舞伎のジャンルとしてこれからも続いていったらいいと思いますし、自分もまた新たな歌舞伎を創ってみたい。僕は日常生活を送っていても、ふとしたことで「これ歌舞伎に取り入れられるかな」と思ってしまうので、配信はもちろん、それこそ父や猿之助のお兄さんをはじめ、新しい歌舞伎を創っている方たちを見ていると、自分もいずれ新作や新しいことに挑戦したいと思ってしまいます。

——染五郎にとって、歌舞伎への思いは4歳で歌舞伎の道へ進んで以来、揺らいだことはない。だが、1度だけ舞台に出演しなかったことがあると言う。

市川:化粧するのがすごく嫌になったんです。小さかったので。それでヤダヤダと泣いてごねて結局舞台に出ませんでした。その後、その公演のある月に車で劇場の前を通ったら、たまたま僕がやるはずだったお役をやっている役者さんが歩いていたんです。その時、母に「あなたがやるはずだった役をやっている方よ」と言われて、「なんでやらなかったんだろう」と、すごく後悔したことを今も覚えています。

■挑戦し続けたい

 ポツポツと話しながらも、よほど悔しかったのだろう。もう二度と後悔したくない──。そんな強い思いを感じずにはいられなかった。

市川:今でも、どんなお役をいただいても、真っ先に「自分には絶対できないな」と思ってしまうんです。でも、やっぱり「挑戦したい」という気持ちもずっとある。一回はできないなと思っても、絶対これを乗り越えたら何かを吸収できると思うし、そのお役が大きければ大きいほど挑戦になると信じています。自分が大切にしていることは挑戦すること。毎回お役をいただくたびにそう思うようにして、いろんなお仕事をさせていただいています。

 今年も先はわからないですが、とにかく挑戦するということを忘れずに生きたいなと思っています。

(フリーランス記者・坂口さゆり)

AERA 2021年1月25日号