それだけに、ジム・クロウ法禁止法案を成立させるなど人種差別撤廃に向けて働きかけていたケネディ大統領が、63年11月に彼女の地元、テキサスの地で凶弾に倒れたのは、ジャニスのリベラルな音楽指向が打ち砕かれるような事件だったかもしれない。ジャニスがサンフランシスコに向かったのも、まさに63年のことだ。

 白人たちが歌い継いできたフォークもカントリーも、アフリカン・アメリカンたちによるブルーズが誕生していなければ、今日のような歴史をたどらなかった。フォークやカントリーを指向しつつも、ブルーズをお手本にしたようなソウルフルな歌を聴かせていたジャニスは、まさにそうした思い切った解釈をいちはやく体現した女性シンガーだったと言える。今でいう「ブルーアイド・ソウル」というスタイル(ジャンル)はブラック・ミュージックを好む白人が奏でる音楽というニュアンスで、ジャニスはまさにそのオリジネイターの一人とも言われるが、彼女は黒白どちらかが軸になることもなく、最初から邪気なくクロスさせていた。いや、その二択だけではない。ジャニスは最初から様々な概念をフラットにするように、短い活動期間の中で多様な曲を自分のものにしてきた。フォーク・ソング・トリオのルーフトップ・シンガーズの代表曲「ウォーク・ライト・イン」、そしてクリス・クリストファースンの「ミー・アンド・ボビー・マギー」、あるいはジョージ・ガーシュウィンの「サマータイム」のように彼女がカバーとして選んできた曲の多くがジャンルを越境していることは特筆に値する。

 いや、もしかすると、多ジャンルをクロスさせるというよりも、フォーク・ミュージックというスタイルに対し、ジャニスは革新的な音楽であるという認識をしていたのかもしれない。そこで思い出すのは、昨今の北米を中心とした新しい世代の女性シンガー・ソングライターたちの存在だ。例えば、昨年『フォークロア』『エヴァーモア』という素晴らしい2枚のアルバムをリリースしたテイラー・スウフィフト。もちろん、テイラーがカントリー歌手としてデビューしていることは有名だし、今なお彼女のルーツの一つはそこにある。そして、アコースティック音楽であってもジャニスのように素朴でエネルギッシュなスタイルではないし、ダイレクトなブルーズ指向もなければソウルフルとも言えない。しかし、テイラーの作品はスタイリッシュで洗練されたフォーキーなポップスとして結実されていて、とりわけ自身のルーツや民族性にまで踏み込んだ『フォークロア』というアルバムは、最後までフォークという文脈の上で活動していたジャニス・ジョプリンの息吹を継承した作品のように感じるのだ。

 テイラー・スウィフトだけではない。現在、意識的にフォーク音楽に向き合う若きポップ・ミュージックの女性の担い手たちは、みな、どこかでフォーク音楽が本来持つ柔軟性、革新性に引かれているように思える。いかにも挑発的、攻撃的な手法よりも、よほどフォークの方がイノヴェイティヴな音楽になり得ることを60年ほども前に気づいていたジャニス・ジョプリン。彼女が今の時代に生きていたら、現在の若き後輩たちのアグレッシブなフォーク指向をどのように受け止めることだろう。

(文/岡村詩野)

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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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