テイラー・スウィフトだけではない。ジャニス・ジョプリンもフォークが革新的な音楽だと認識していた (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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テイラー・スウィフトだけではない。ジャニス・ジョプリンもフォークが革新的な音楽だと認識していた

連載「岡村詩野の音楽日和」

岡村詩野AERA
ジャニス・ジョプリン(Photo by Barry Feinstein 写真提供:ソニー・ミュージック)

ジャニス・ジョプリン(Photo by Barry Feinstein 写真提供:ソニー・ミュージック)

ジャニス・ジョプリン(Photo by David Gahr 写真提供:ソニー・ミュージック)

ジャニス・ジョプリン(Photo by David Gahr 写真提供:ソニー・ミュージック)

 ジャニス・ジョプリンの代表作である『パール』がリリースされて、この1月でちょうど50年になる。ジャニスが前年である1970年10月4日に亡くなったため、遺作としてリリースされた『パール』。今、改めてこのアルバムを聴くと、その豊かで幅広い音楽性に驚かされる。

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 ジャニス・ジョプリンと言えば、「女性ロッカーの草分け」というイメージが一般的だが、実は彼女の出発点はフォークやカントリーなどアメリカにルーツのある音楽に根ざしたところにある。幼少時から聖歌隊で歌っていたテキサス出身の彼女は、伝説的ミュージシャンのレッドベリーを聴いて目覚め、フォークやブルーズに傾倒、自らも本格的にミュージシャンを目指すべくサンフランシスコへと向かった。

 彼女はキャリア全体を通じて多くのカバーを披露してきたが、初期はとりわけ多様だ。サンフランシスコに移る前の60年代前半、地元テキサスはオースティンで録音された音源の中に、ジェシー・フラー作でフィービー・スノウやピーター・ポール&マリーなどで知られる「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」、チャーリー・パーカーの「カンサス・シティ・ブルース」、チャック・ウィリス作の「シー・シー・ライダー」といったカバー曲が多く残されている。ジャニスの歌い方や表現は1930~40年代のいわゆる戦前フォークとも言われるスタイルをお手本にしたような素朴かつ生命力に溢れたもの。パンチの利いたボーカルがこの時点で既に表情豊かでダイナミックなのに驚かされる。

 そこで気づくのが、ジャニスは早い段階からフォークやカントリー・ミュージックを黒人音楽の一つの潮流として捉えていたということだ。もちろん、フォークやカントリーがアメリカの大衆音楽の底流の一つであることは言うまでもなく、アフリカン・アメリカンが広めたブルーズに対し、ヨーロッパ系アメリカンが柱となったのがカントリーやフォークであるという解釈が一般的だろう。だが、古くはカーター・ファミリー、ハンク・ウィリアムス、あるいはウディ・ガスリーやピート・シーガーといった黎明期のフォーク/カントリー、もしくはフォーク・リバイバルのアーティストたちの系譜と、サンハウスやロバート・ジョンソンからマディ・ウォーターズらに連なるブルーズの系譜は、時代の経過とともにあくまで解釈として離反したり合流したりを繰り返している。政治思想がそこに介在するとさらに厄介になる。ともあれ、少なくともそうしたアメリカの大衆音楽の歴史とその解釈の変遷をみていくなかで、おりしも公民権運動が盛んになっていた60年代にジャニスが人種の境目をなくすかのような、「フォーキー・ブルーズ・ミュージック」とでも言うべきクロスオーバーしたスタイルで歌い始めていたのは、実に象徴的だったと言える。


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