■人と同じことは大嫌い、王道はやりたがらない

 出身は青森市。父親は造船業の職人で、3人兄弟の次男だ。弟で国士舘大学専任講師の正人(まさひと)(43)は、「小学校では兄の周りにはいつも人がいて、笑いの渦の中心にいた」と振り返る。ビートたけしやとんねるずが大好きで、小学3年生の文集には「漫才師になる」と書いた。自らコントをつくり、中学のときには、友だち4人とグループを組み、地元放送局だけでなく、山田邦子が司会する「スター生たまご」に出演、みごと優勝した。

 進学校の青森東高校に入るも、第1志望は芸人だった。そこに立ちはだかったのは母親。“3兄弟を公務員に”が悲願だったのだ。

「お笑い芸人などもってのほかなわけです。ただ唯一優しくなるときがあって、それが肩をもんでいるとき。肩をマッサージしながら、今日あったことを話して、好きなものをねだったりしていたので、このときしかないと」

 お笑い芸人への熱意を語り続けたところ、ついに高校3年生のとき、日本映画学校(現・日本映画大学)で勉強することを条件に許しを得た。

 願いが叶い学校に入るも、仲良くなった二人とトリオを組むと、数カ月で退学した。「底ぬけAIR-LINE」を結成し、数年後には幸運にも人気番組「ボキャブラ天国」に出演でき、一躍人気者に。その後「爆笑!スターものまね王座決定戦」や「爆笑オンエアバトル」にも出演するようになるが、先頭集団を行く爆笑問題、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)との差は埋まらなかった。

 しかし古坂が先頭集団と対等にいられる場所があった。楽屋だ。くりぃむしちゅーの上田晋也(50)の記憶に残るのは20年ほど前、「ものまね王座決定戦」でのこと。若手は朝10時前後からリハーサルをするが、本番まで約10時間ある。その間楽屋でずっと笑わせていたのが古坂だった。たとえば上田や相方の有田哲平が、「古坂、地方からイベンターさん来ているよ」といえば、少し発音に特徴があったり息づかいがヘンだったりするイベンターのマネをする。「ADさんが打ち合わせしたいらしいよ」と振ると、失礼なADの特徴を捉えて細かな描写でマネをする。芸人ならばわかる「あるある」話を古坂は熱演した。上田は言う。

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