昨年夏にスタジオづくりを計画。「バンドのライブ配信、芸人のネタ披露、いろんなことをやりたい」(写真/植田真紗美)
昨年夏にスタジオづくりを計画。「バンドのライブ配信、芸人のネタ披露、いろんなことをやりたい」(写真/植田真紗美)
ピコ太郎の近況を聞くと、「曲つくってなくてね。手の消毒に使うアルコールをメチルとエチルに分けるのに忙しいらしいですよ(笑)」。古坂ワールドである(写真/植田真紗美)
ピコ太郎の近況を聞くと、「曲つくってなくてね。手の消毒に使うアルコールをメチルとエチルに分けるのに忙しいらしいですよ(笑)」。古坂ワールドである(写真/植田真紗美)

「楽屋で日本一面白い男」と呼ばれていた。芸人仲間のどんなふりにも100%で切り返す。舞台裏はいつも大笑いだった。こんなにも面白いのに、世間の評価はなかなか上がらない。古坂大魔王は笑いのステージだけでなく、音楽に動画に挑戦していった。まいた種は、大輪の花を咲かせた。ピコ太郎の「PPAP」の動画を配信すると合計再生回数は5億を超えた。一気に世界が舞台になった。

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「ピコ太郎で稼いだお金、全部投入しましたから」

 都内某所、11月に完成したばかりのプライベートスタジオで古坂大魔王(こさかだいまおう)(47)はそう語った。その名も「スタジオ・ピコ」。

 古坂といえば2016年8月、シンガーソングライター・ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン」(以下、PPAP)をYouTubeに上げると、翌月にはグラミー賞アーティスト、ジャスティン・ビーバーが「お気に入りのビデオだ」とツイート。するとYouTube再生回数3週連続世界一に。合計再生回数は5億を超えた。18の国と地域を訪れ、「パリの凱旋門でも、ウガンダの市場でもピコ太郎が歩くと人だかりができた」(古坂)というほど世界的著名人になった。

 降ってわいたようなPPAPブームを巻き起こしたプロデューサー古坂に、「たまたま」「運」といった見方もあった。25年間波に乗り切れず、一時は仕事が減り、ピザ屋のバイトの面接に行った経験がある。本人も幸運を否定しない。しかし古坂のこれまでを辿ると、偶然を必然に近づける試みを繰り返す姿があった。古坂はこう言う。

「野球にたとえれば、ピンチはチャンスだと思って打席に立ったことが1千回あったからなんです。“最近三振ばっかりだけど、次はホームランじゃねっ”と思って打席に立っていたから」

 PPAP後もブームにのみこまれず、ピコ太郎は子ども向けの手洗い動画でコロナ禍の話題をさらい、古坂は複数の番組MCやプロデューサー、さらに特撮ヒーロードラマ「魔進戦隊キラメイジャー」に出演するなど幅広く活躍している。

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