――「男の問題」とひとくくりにするのでなく、自分という一個人を主語にすること。その決意が「さよなら、俺たち」のタイトルに込められている。

清田さん:女性たちの恋バナを聞き、「ダメ男」「クソ男」などと男性を悪者にするのが楽しかった時期も正直あります。でもその後、「俺も同じ穴のムジナだよな」と痛感し、「我々男は」「俺たちは」と自分自身を含めて捉えるようになった。一方で、男の人は「俺たち」という言葉を便利に使う傾向がある。大きな主語に隠れて個人の責任を曖昧にしがちだなって。でも、「私はこうです」と自分の発言や行動に責任を持つのが大人というものだと思う。その二つの意味での「俺たち」と決別するため、「さよなら、俺たち」というタイトルにしました。

■同じ本や映画を共有

――清田さんの「自己の言語化」に触発され、自分のことも誰かに話したくなる。

清田さん:誰かとお茶しながらおしゃべりするのって大事だと思うんですよ。でも「それがお前のダメなとこ」とか「あの男はやめとけ」とかって、決めつけられたり否定されたり、茶化されたり論破されたりすると、話す気持ちが萎(な)えてしまう。相手を選ぶ部分はありますが、同時に自分も良き聞き手になれると相乗効果で楽しくなると思います。質問して、反応して、自分もこんなことあったなって自己開示して、さらに語りが促されて。僕は、人の話は簡単には理解できないという前提で最後まで「聞き切る」ようにしています。特にジェンダーをめぐる語り合いの場合は、同じ本とか映画を共有したうえで喋(しゃべ)るとより相互理解が深まるかも。公開中の映画「82年生まれ、キム・ジヨン」とか、松田青子さんの小説『持続可能な魂の利用』、渡辺ペコさんの漫画『1122(いいふうふ)』とか、個人的にオススメです。

(構成/編集部・高橋有紀)

AERA 2020年11月2日号