5月の武漢。地下鉄の車両にはほとんど客がいない(筆者撮影)
5月の武漢。地下鉄の車両にはほとんど客がいない(筆者撮影)
地下鉄の車両に掲示された「距離を保とう」の文字(筆者撮影)
地下鉄の車両に掲示された「距離を保とう」の文字(筆者撮影)

 新型コロナウイルスによる肺炎が流行した武漢で、作家の方方氏が発表し続けた日記が世界の注目を集めた。温和で、中国共産党の権威に挑むものではまったくなかったが、流行を食い止められなかったことについて責任を追及する考えを示しただけで、中国国内で2カ月にわたり数千万のネットユーザーの袋叩きに遭い、脅迫を受けた。この「私はウイルス――武漢ロックダウン日記」は、方方氏と同じく武漢で暮らす一般市民の男性「阿坡(A.PO)」が、中国共産党を批判する反省の書として記したものだ。「一人の健全な精神を持つ中国人」として、世界に向けてお詫びの気持ちを示したいという。多くの武漢市民にとってそうだったように、阿坡にとってもロックダウンの時は突然やってきた。

【写真】コロナ禍の武漢・地下鉄の車両に掲示された「距離を保とう」の文字

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■2020年1月19日 最後の外出は封鎖の4日前、90%の人はマスクなし(3)

 現在、2020年2月10日午前1時。私はようやくパソコンの前に座ることができた。

 4日前の2月6日、夜を徹して眠れず、その後もずっと惨状の報告と悪情報を次から次に目にし、我が身は悲憤のただなかにあって、気持ちは千々に乱れ、それ以来、落ち着いて文章を書くことができなかったのだ。

 今日この時に至り、2020年1月23日以来人々を震え上がらせた武漢のロックダウン(都市封鎖)も19日を数える。私はこの2週間を超える時間を麻痺と鈍感のうちに過ごしたことを恥じた。もはや先延ばしにはできない。今日こそ始めなければならない。

 私の家は、いわゆる新型コロナウイルス流行の爆発地点とされる「華南海鮮市場」から直線距離で3.1キロ、今次の災難の渦の中心にあるといっていい。この2週間、ウイルスの流行は荒れ狂ったが、私自身は家にいてなんら潜在的な危険を感じることはなかった。内心では自分が「オタク」の習慣を持ち合わせていることに幸運を感じもした。

■深刻な警戒情報なし

 私は2019年12月31日に日本に飛びそこで年を越したのだが、武漢を離れる時点では武漢が流行性肺炎をはらんでいることなどまったく知らなかった。その12月31日に、当局は原因不明の肺炎の発生をWHOに通報していたが、2020年1月14日に私が武漢に戻ってからも、当局のメディアには何ら深刻な警戒情報はなかった。私は、一度会議で外出した以外は、普段の基本的な習慣として家で暮らした。

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阿坡(A.PO)

阿坡(A.PO)

阿坡(A.PO)/一武漢市民。77日間の武漢都市封鎖(ロックダウン)を経験し、この手記を執筆。「阿坡」は本名ではない。全世界に多大な迷惑と災難をもたらした新型コロナウイルスについて、一人の健全な精神を持つ中国人としてお詫びの気持ちを表すために、英語の「apologize(お詫びする)」から取った。全世界の国々が中国からのお詫びを待ったとしても、それが述べられることはない。だか、この名前を用いて手記でお詫びの気持ちを表したいと考えている。

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