■米国の大作家の生涯

 ハレー彗星とともに地球に降り立ち、ハレー彗星とともに去っていったのが、米国の大作家マーク・トウェインである。

 マーク・トウェイン(本名サミュエル・クレメンス)は、ミズーリ州フロリダで判事の父ジョン・クレメンズと母ジェーンの間に、5人兄弟の3番目として1835年11月30日に生まれた。この年の11月16日にハレー彗星が地球に接近していたので、彼自身「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、ハレー彗星とともに去っていく」と吹聴したという。上流階級の出身だったが、12歳の時に父が負債を残して死去、長兄の営む地方新聞出版の手伝いを経て、22歳で蒸気船の船員となり水先案内人の資格を得た。水先案内人は浅瀬を航行する川蒸気船の航行には不可欠のエリートで高給取りでもあった。彼のペンネームは「水深二尋(で航行可能)」に由来する。

 しかし、乗船ペンシルヴァニア号のボイラー事故で弟のヘンリーを失い、南北戦争従軍を経てサンフランシスコやハワイで新聞記者として働いた。ハワイや欧州の紀行文が評判となって職業作家としてデビュー、1876年の『トム・ソーヤーの冒険』1885年の『ハックルベリー・フィンの冒険』などのベストセラーを出すが、生来の浪費癖と投資の失敗で破産を繰り返す。だが、『あしながおじさん』のモデルとなった資産家ヘンリー・H・ロジャーズの援助で資産を取り返し、晩年まで執筆と講演活動を行った。

 功成り名遂げたが、愛妻オリヴィアや長女スージー、三女ジーンに先立たれ、ロシア人ピアニストと結婚した次女クララは遠いヨーロッパに去り、寂しい日々だったという。そして1910年4月21日ハレー彗星の地球最接近の翌日に心不全で死去した。

 マーク・トウェインは、学歴は小学校中退だったが独学で本を読み漁り、独特のユーモアと軽妙な文体そして「王子と乞食」、タイムスリップ小説の先駆けともいうべき「アーサー王宮廷のヤンキー」など奇想天外なプロットを生み出している。20世紀の大作家ウィリアム・フォークナーは「彼こそが最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と言っている。日本では同時代のフランス、ドイツ、ロシアなどの文学に比べてアメリカ文学は低く見られがちだが、ウィットにとみ大変面白い。ただ、原語で読むと、わざと文法を外したり南部方言を多用したり結構難しいところもある。

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