1988年、東京・日本橋で日本の美「かざりの世界」展を鑑賞する高松宮妃喜久子さま。 (c)朝日新聞社
1988年、東京・日本橋で日本の美「かざりの世界」展を鑑賞する高松宮妃喜久子さま。 (c)朝日新聞社
今年3月31日、賢所参拝のため皇居に入る愛子さま。学習院女子高等科を卒業、4月から学習院大学文学部に進学された (c)朝日新聞社
今年3月31日、賢所参拝のため皇居に入る愛子さま。学習院女子高等科を卒業、4月から学習院大学文学部に進学された (c)朝日新聞社

 皇位継承問題について、政府は「立皇嗣の礼」後、本格的に検討する方針だ。高松宮妃喜久子さまは、愛子さまが誕生した18年前、女性天皇の可能性について語っていた。AERA 2020年6月8日号から。

【写真】賢所参拝のため皇居に入る愛子さま

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 緊急事態宣言が5月25日に解除された。延期された秋篠宮さま(54)の「立皇嗣(りっこうし)の礼」はいつになるのだろう。「新たな開催は早くても今秋以降」という報道も目にした。

 政府は「立皇嗣の礼」の後、皇位継承策について本格的に検討する方針だ。菅義偉官房長官は4月30日の記者会見で「立皇嗣の礼の実施時期を見極め、対応していきたい」と説明した。やはり秋以降になるのだろうか。

 ここから、高松宮妃喜久子さまの話をする。「え、何で?」と思う方も多いだろう。昭和天皇の弟である高松宮さまの妻で、2004年に92歳で亡くなった喜久子さまの話をなぜ、と。

 結論を言うなら喜久子さまは、最晩年に「女性天皇」を語っていたのだ。一般論としてではなく、愛子さまを念頭に「あり得ること」と語っていた。女性・女系天皇に冷たい安倍政権だが、喜久子さまという「中の人」が女性天皇を「あり得る」と言っていた。そのことを知っておいてほしいのだ。

 喜久子さまは1911(明治44)年、東京生まれ。父は徳川慶喜の七男・徳川慶久公爵、母は有栖川宮實枝子女王。30(昭和5)年、大正天皇の三男・高松宮宣仁親王と結婚。その翌々月から夫と欧米26カ国を回る。著書に『菊と葵のものがたり』。

 以上が簡単なプロフィル。「最後の将軍」の孫だなんて、歴史上の人物のようだ。実際、私が喜久子さまを知ったのは平成で、まだご健在だったが、すでに「史料の登場人物」だった。

 週刊誌の記者として皇室関係の取材を始めたのは93年、陛下(60)と皇后雅子さま(56)の婚約から。皇室関連の本を読む中、最初に喜久子さまの名を見たのは、元侍従長の書いた『入江相政日記』。「東宮様の御縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことで皇后様が勢津君様と喜久君様を招んでお訴へになつた由」(昭和33年10月11日)とあった。

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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