「それにつけても、法律関係の責任者の間で慎重に検討して戴かなくてはならないのは、皇室典範の最初の條項を今後どうするかでしょう。女性の皇族が第百二十七代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて決して不自然なことではないと存じます」

 根拠として、日本に「幾人もの女帝がいらっしゃいました」と推古天皇らの名をあげ、外国には「女王のもとで国が富み栄えた例もたくさんございます」としていた。「最初の條項」が定めた「男系男子による皇位継承」でいいのかと問題提起し、平成の次の次の代で女性天皇はあり得るとはっきり書いていた。

 喜久子さまを誤解していたと反省し、関連する本を読んだ。喜久子さまは観察眼にたけ、率直で明るい女性だとわかった。

 著書『菊と葵のものがたり』の中に、『高松宮日記』について語る対談が2編入っている。夫の死後に見つけた日記を出版したものだが、喜久子さまは「宮内庁の反対を押し切っての出版だった」と語っている。対談相手の一人、阿川弘之さんが「妃殿下が、宮内庁にはこれの出版を差し止める権限があるのですかとお聞きになった。それはありませんという宮内庁の返事で、それなら私出すわよとおっしゃって」と語ると、喜久子さまは決断した理由をこう語った。

「あの戦争で若い命を捧げた人々、傷ついた人々、口では言い表せないほどの辛酸を嘗(な)めた人々が大勢いる、ということです。(略)それが書いてある。そういうことをきちんと知って戴きたい。そのためにもぜひ出版したかった」。戦争体験者としての強い思いはもちろん、広報マインド、プロデューサーマインドも伝わってくる本だった。

 喜久子さまには、子どもがいない。同書の最後に「スペイン宮廷の思い出」というエッセイがあり、アルフォンソ13世から「早くお子様をお作りになるように」と言われ、恥ずかしかったと書かれている。当時は新婚だったが、「私達は陛下の御期待にそわぬまま今日に至っている」と続けていた。

 喜久子さまの妹・榊原喜佐子(さかきばらきさこ)さんの著書『大宮様と妃殿下のお手紙』に、子どもが話題になると喜久子さまが不機嫌になることがあったと書かれていた。ほかにも、子どものいない姉夫妻を慮(おもんぱか)る文章はいくつもあった。

 喜久子さまの雅子さまへの気遣い、女性天皇を肯定する気持ちには、そういう背景があったのかもしれない。そんなふうに思ったりする昨今だ。(コラムニスト・矢部万紀子

AERA 2020年6月8日号

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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