美智子さまは01年、67歳のお誕生日にあたり、この頃のことをこう語っている。「ふり返りますと、社会の中で沢山の新しいことが、手探りのようにして始められていた時代であったように思われます」

 この言葉で、まっすぐな目に得心がいった。昭和とは、みなが「手探り」で「新しいこと」を始めた時代だった。「初の民間出身皇太子妃」美智子さまも、そこにあっては手探りで進む一人だった。そうしてみなが同じく前を向き、日本は「戦後」を脱して未来をつかんでいった。

 上皇さま(86)と美智子さまは日本の障害者スポーツ振興に尽力した。きっかけは、64年のパラリンピック。会期7日のうち6日間、会場に足を運んだ。先ほど紹介した美智子さまの言葉も、直接には「パラリンピックの隆盛など、両陛下が若い頃から積極的にかかわってこられた福祉の分野」について問われた答え。お二人が形にした「新しいこと」の一つに、障害者スポーツがあった。(コラムニスト・矢部万紀子

AERA 2020年5月25日号より抜粋

著者プロフィールを見る
矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

矢部万紀子の記事一覧はこちら