「麒麟がくる」担当の歴史学者が「必見」と語る 明智光秀ゆかりの城とは (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「麒麟がくる」担当の歴史学者が「必見」と語る 明智光秀ゆかりの城とは

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福知山城/1986年に再建された天守で、福知山市郷土資料館となっている(写真:筆者撮影)

福知山城/1986年に再建された天守で、福知山市郷土資料館となっている(写真:筆者撮影)

勝龍寺城址/勝龍寺城跡に建てられた細川忠興と光秀の娘・ガラシャの像。この城は、二人が祝言をあげ、さらに新婚時代を過ごした城でもあった(写真:筆者撮影)

勝龍寺城址/勝龍寺城跡に建てられた細川忠興と光秀の娘・ガラシャの像。この城は、二人が祝言をあげ、さらに新婚時代を過ごした城でもあった(写真:筆者撮影)

 本能寺の変で信長を討った「逆臣」として知られる明智光秀。その光秀のネガティブなイメージが、変わりつつある。どのような生涯を辿り、本能寺の変に至ったのか。足跡を遺した城を巡った、AERA 2020年4月6日号の記事を紹介する。

【写真】勝龍寺城跡に建てられた細川忠興と光秀の娘・ガラシャの像

*  *  *
 放映中のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀。これまで光秀は本能寺の変で信長を討った「逆臣」としてネガティブなイメージを持たれることが多かった。だが、今回のドラマでは一変。“汚名返上”とばかりに、爽やかな青年武将ぶりが際立っている。

 1520年前後に生まれた光秀については、誕生から30歳くらいまでの“信じるに足る史料”が残されていない。「麒麟がくる」の資料提供を担当している歴史学者の小和田泰経氏によると、光秀の出生地には主に二つの説があるという。

「岐阜県可児(かに)市の明智城と恵那(えな)市の明知城です。どちらも現在は曲輪(くるわ)跡や土塁(どるい)とおぼしき遺構が残るのみで天守はありません」

 明智城は、自然の地形を生かして築城された中世の山城。城の登城口にあたる大手門跡には「冠木門(かぶきもん)」が建てられている。2本の柱の上部に冠木を貫き渡した屋根のない門だ。

「この冠木門は当時の遺構ではなく、推定により近年再建されたものですが、戦国時代の雰囲気を醸し出しています」(小和田氏)

 大手門から本丸跡までは“明智城址散策道”が整備され、約10分で辿り着ける。この本丸跡は、合戦時に籠城する場所で、城主の生活する場所ではない。
 明智城の城主を務めていたのは、光秀の叔父・光安(みつやす)。1556年の長良川の戦い後、稲葉山城主・斎藤義龍(よしたつ)に攻められて落城した。このとき光秀は城を脱し、越前の朝倉義景(よしかげ)を頼り落ち延びたとも伝わっている。

 恵那市の明知城は、明知遠山氏が築いた平山城。平山城とは、平野部にある丘陵などを利用して築いた城だ。


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