──書くことは「楽しみ」ですか? つらさはありますか。

 書いていない時は書きたくなりますし、書いている時は書きたくなくなります。「この作品を早く終わらせて次を書きたい」という思いがモチベーションになることもありますし。今回のエッセイは、1話ごとに完結するので、毎回リフレッシュしながら、楽しく書くことができました。

 本好きとしては、ファンの方から「加藤さんが好きだと言っていた作家さんの本を読みました」と聞くこともあって、それは嬉しいですね。それから、最近はファンの方の考察がすごいんですよ。先の展開を考えていない連載でも、みんなが勝手に予想をしてくれて、それが僕の想像を超えているんです。

 一方で、結局どこまで行っても、「読者は自分だ」という思いもあります。作品を「好きだ」と言ってくれる人もいれば、「嫌いだ」と言う人もいる。それを僕がコントロールすることはできない。けれど、少なくとも自分が読んで「面白い」と思えるものでなければならない。とくにエッセイの場合は、読み終わった後に景色が少しだけ変わったり、読んでいる30分だけでも元気になってもらえたりしたら、うれしいとも思います。だからこのエッセイ集には、読後感が悪いものはあまり入れていないんです。

──『できることならスティードで』には、単行本化にあたり書き下ろされた三つの掌編(しょうへん)小説が収録されています。その一つで、今回誌面で特別に掲載する「ヴォルール デ アムール」について教えてください。

 いままで海外の方を小説のキャラクターとして書いたことがなかったのですが、旅のエッセイに入るものなので、「主人公が日本人ではない」設定にも挑戦してみようと思いました。きっとエッセイとの相性も良いだろう、と。

 場所をどこにするか迷いましたが、「パリ」というエッセイも入っているので、フランスのような感じで、とはいえあまり気取ったものではなく、労働者の方々の“大変だけれど楽しんでいる感じ”を書きたい、と。読んでほっこりする感じがいいな、と考えていました。虚実入り交じる、「本当にあったのではないか」と感じられる話になったかと思います。

(ライター・古谷ゆう子)

AERA 2020年3月9日号より抜粋