収められているのは、1920年代から40年代にかけて家族で演奏旅行をしていたカーター・ファミリーの曲に日本語の歌詞をつけた「陽気に行こう」や「私を待つ人がいる」。こうしたアメリカのブルーグラス、カントリーのグループのカヴァーだけでなく、高石が我が子のことを歌った「たづるさん」や「春を待つ少女」といったオリジナル曲や、滋賀県民謡「近江の子守唄」、中津川民謡「ほっちょせ節」といった曲も既にレパートリーに加えていることに驚かされる。このアルバムには収録されていないが、彼らはのちに中南米や中東の民謡にも挑んでいる。それは、民衆の生活の中にある歌に国境などないという姿勢にほかならない。

 実際、高石はカーター・ファミリーをお手本にするかのように、彼らのバンド名の由来にもなった福井県の山間の名田庄(なたしょう)村(現おおい町)にある廃校で子どもや妻と暮らしたり、ライヴに高石の実の妹である高石とし子が参加したりと、あくまでアットホームな雰囲気をモットーとしていた。そうした市井の人々の何げない生活の中に息づいている歌をすくい取ろうとしたのが、「高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン」だったのだ。

 初期にフィールド・フォークと銘打った中津川や飛騨などでのライヴ・アルバムを多数発表しているのも、祇園祭のシーズンに京都市内の円山野外音楽堂で「宵々山コンサート」を開催していたのも、京都の町の風景を歌った曲を作ったりしていたのも、「暮らしの中にある歌」を何より大切にしようとしていたからだろう。

 グループとしては70年代中盤から80年初頭にかけてが最盛期だった。高石と城田に加え、「花嫁」をヒットさせた「はしだのりひことクライマックス」のメンバーの坂庭省悟、元ジャックスでマルチ・プレーヤーの木田高介を加えた4人時代に多くの作品を発表した。アルバムごとにテーマをもうけた11枚の連作「107 SONG BOOK」シリーズは78年のレコード大賞企画賞も受賞している。

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