「1972 CONCERT―KBS KYOTO INCREDIBLE TAPES―」/ディスクユニオン提供
「1972 CONCERT―KBS KYOTO INCREDIBLE TAPES―」/ディスクユニオン提供
高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン。左から金海孝寛、城田じゅんじ、高石ともや/金海孝寛提供
高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン。左から金海孝寛、城田じゅんじ、高石ともや/金海孝寛提供

 1970年代から80年代にかけて、京都を拠点に活動していた「高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン」をご存じだろうか。「受験生ブルース」「主婦のブルース」といった曲をヒットさせていたフォーク歌手の高石ともやが、しばしの充電期間を経て71年に結成したブルーグラス&カントリー系のグループだ。いや、それだけでなく、世界中のフォークロア音楽に向き合ったグループだったと言うべきだろう。

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 このグループがいかに「早すぎた」かを物語る、レア音源アルバムがリリースされる。結成一周年リサイタルの模様を3時間にわたり、MCまで含めて収めた貴重なアーカイヴ・ライヴ・アルバム「1972 CONCERT―KBS KYOTO INCREDIBLE TAPES―」。これは、彼らの地元・京都のラジオ局、近畿放送(現KBS京都)がオンエアを前提に収録したもので、72年2月6日、京都市のシルクホールで開催された演奏がCD3枚にまとめられた、いわば実況盤だ。

 海の向こうでは、ザ・バーズやグラム・パーソンズ、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)といったフォーク、カントリー・ロックのアーティストやバンドが活躍していた70年代初頭。北海道出身の高石ともやは、フォーク歌手としての活動を一区切りさせたのち、渡米する。

 当時のアメリカはベトナム戦争が泥沼化し、ラブ&ピースを掲げるヒッピーの理想主義が崩壊しつつあった頃。そこでアメリカの大衆に受け継がれてきた歌に改めて出会い、日本で、日本語で解釈することを思いつく。帰国後に京都で始めた「高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン」は、古いアメリカ民謡を日本語に「翻訳」して披露することを試みたグループだったのである。

 そんな高石と意気投合したのが、のちに日本におけるバンジョー奏者の第一人者となる城田じゅんじだった。高石とは世代も経歴も異なったが、関西フォークの薫りがまだ残る70年代初頭の京都で、ともに活動を始めた。今回リリースされるCDからは、まだメンバーも流動的だった初期のフレッシュな息吹が感じられる。ここでの演奏は、高石、城田、マンドリン奏者の金海孝寛の3人だ。

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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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