妻がASについて知ったのは3年半前。それまでの数十年は、夫の機嫌が悪くならないよう「寒くない?」「何が食べたい?」と気遣い、世話を焼き続けた。夫はなんでも察してくれる母親に甘える幼児のように振る舞う一方で、妻の求めは無視、拒否、見下すことも多かったという。 

 たとえば「雪道の運転は嫌だと伝えたのにスキー旅行の運転を強要する」「ネクタイを選んでと言いつつ提案は全て却下」「ホームパーティーで、妻の手料理で場が盛り上がったところで突然、関係ないネタで妻をこき下ろす」など、夫への取材とは対照的に、次々とエピソードが出てくる。

 ささいなすれ違いであっても、それが毎日、何度も繰り返されるうちに、妻は「磁場が狂ってくるような感じ。おかしいのは夫なのか、自分なのかさえわからなくなった」。5年ほど前には突発性難聴に、やがて起き上がることもつらくなり、最後は夫にスリッパを投げつけ「もう限界」と泣き叫んだ。

 夫婦は今、ASなどの発達障害と夫婦関係を専門とする臨床心理士の滝口のぞみさんにカウンセリングを受けている。妻は数カ月に1回。夫は2週間に1回。「家内のような女性は他にいません。また一緒に暮らしたい」と話す夫は、自らの言動を改めるため滝口さんと「過去の検証作業」を続けている。

「ASの人は他者の気持ちや言外の意図を想像するのが苦手ですが、そこを想像してみる。『口うるさくガミガミ言っている』と受け止め反撃してしまったことについても、ただ謝るのではなく、妻の言葉の裏には愛情や思いやりがあったことに気づく必要があります」(滝口さん)

「検証」で一度理解したつもりになっても、「応用」ができないところにも難しさがある。その理由について、どんぐり発達クリニックの宮尾益知院長は、「ASの人は物事をうまく概念化できないから」と指摘する。同医師によれば、定型発達の人が新しい出来事にうまく対処できるのは、目の前の事象と過去の事象が同じようなことだと理解し「多分こんなことだな」と「概念化」できているから。だがASの人は毎日違うことが起きていると捉えてしまうため、過去も現在もバラバラの点として存在し、線や面にならない。

「外の世界ではうまくいっている人もいます。社会性は周囲の人の状況を自分に置き換えて考えることで形成されますが、彼らはそれを『損得』で身につけてきたと言います。仕事は基本、損得の世界ですし、情に流されないほうがうまくいく面もある。要は定型発達とASの人では『認知パターン』が違うのです。ASはマイノリティーではあるけれども、それ自体が悪いわけではない」(宮尾医師)

 しかし、カサンドラになった妻にすれば、「だから理解してあげて」と言われても到底納得できない。自分たちが受けた深い傷や悲しみを夫にも社会にも理解されず苦しんできたからだ。(編集部・石臥薫子)

AERA 2020年1月27日号より抜粋