稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
豆腐屋の豆腐はそれぞれに個性的。我が近所の店は木綿のみ。温めて柚子胡椒とオリーブ油をかけ至福の肴(写真:本人提供)
豆腐屋の豆腐はそれぞれに個性的。我が近所の店は木綿のみ。温めて柚子胡椒とオリーブ油をかけ至福の肴(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】温めて柚子胡椒とオリーブ油をかけた豆腐

*  *  *

 先日、所用があり会社員時代に長く住んでいた神戸に行った。ああ懐かしい街並み! 懐かしい山! 懐かしい川! 考えたら離れて5年以上経っている。大好きだった幾つかの店にも入り、懐かしい人との再会を喜び合った。全く店とはありがたい存在である。いつでも開けて待っていてくれる人がいるって、考えたらものすごいことだ。

 だが馴染みの店の半分はなくなっていた。個人が店を続けるのは大変なことなのだ。

 中でも衝撃は、ずっと通っていた二軒の豆腐屋がなくなっていたこと。一軒は行列のできる超人気店で、息子さんも手伝っていたので盤石と信じ切っていた。もう一軒も、一旦潰れた店を若い人が引き継いで再開したので大丈夫と思っていた。甘かった。一体何があったのだろう。

 豆腐好きを公言していると、いろんな人が「どこどこの豆腐が美味しいヨ」と教えて下さる。ありがたい。しかし実は、私がそれを買うことはないのだった。食べてみたいとは思う。でもそれを買ったらいつも行く近所の豆腐屋で買う機会が減る。それが嫌なのだ。豆腐ラブというより豆腐屋ラブなのである。私は豆腐屋を愛し、豆腐屋のある街を愛する。大人になって約10回引っ越したが、いつしか家を選ぶ条件が「近所に豆腐屋があること」になっていた。

 どうもね、豆腐屋のある街はいい街なんじゃないかと。暑い日も寒い日も暗いうちからいつもの豆腐を作ってくれる豆腐屋さん。効率よく儲けるが勝ちという現代の常識とは対極の仕事。それを当たり前にこなす人がいて、そしてその豆腐を当たり前に買いにくる近所の人がいる。スーパーで買えばラクだし安いのに。なぜなんだ。理由は人それぞれだろうが、そこにも何かの思いがあるに違いない。あえて言葉にすれば、人恋しさのようなもの。全てが効率化されていく世の中で、そのコールアンドレスポンスは実に貴重で粋だと思うのである。

 そしてまた二つ、豆腐屋のある街が消えた。世界から豆腐屋が消えたなら。私はどこに住めば良いのだろう。

AERA 2019年11月25日号

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稲垣えみ子

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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