父親不在のピースの埋まらない家族関係のなか、ずっともがき苦しんできましたが、はまらないものは、はまらないままでいい。うちのような家族でも良かったのかもしれない。ふたりを亡くしたいま、ようやくそう思えるようになってきました。

 母は、私が小さなころから身近な人が亡くなると「死に顔をしっかり見なさい」と言い、「家族に死んでいく姿を見せたい」という願いも持っていました。入院して1カ月が経ったころ容体は良くありませんでしたが、突然「家に帰りたい」と言い出しました。結果的に、帰宅した日の深夜、家族全員に看取られ、父とも電話でつながり、息を引き取りました。

 その日の夜、自分の部屋に帰ろうとすると、母は私の手を取り「ありがとう」と小声で3回言いました。「どうしたの?」と私は返しました。

 その数時間後の急変でした。明日があることを疑わず、まだまだ続くと思っていた日常がいきなり断たれようとしている──。動転している私に、8歳の玄兎(げんと)がこう励ましてくれました。

「マミー、魂はずっとそばにいるから大丈夫だよ」

 母が死を日常の中におくことを大事にしたのは、20代後半、生きることに絶望した経験があったからです。さまざまな感情を持って対峙していた相手が突然消え去る。その「はかなさ」や「自然の摂理」を家族に身をもって体感させたかったのだと思います。

 玄兎は母が亡くなったあと何カ月か、死を受け止めきれず思い悩んでいました。しかしその時間も含め、「生へ向かうバトン」を母は渡したかったのでしょう。

(構成/編集部・石田かおる)

AERA 2019年10月14日号より抜粋