「父は必要なカオスだった」もがき苦しんだ家族関係…内田也哉子が明かす (2/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「父は必要なカオスだった」もがき苦しんだ家族関係…内田也哉子が明かす

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内田也哉子(うちだ・ややこ)/1976年生まれ、文筆家、翻訳家。音楽ユニットsighboatのメンバー。近著に『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)。『この世を生き切る醍醐味』(朝日新書)に也哉子さんのインタビューも収められている(撮影/写真部・加藤夏子)

内田也哉子(うちだ・ややこ)/1976年生まれ、文筆家、翻訳家。音楽ユニットsighboatのメンバー。近著に『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)。『この世を生き切る醍醐味』(朝日新書)に也哉子さんのインタビューも収められている(撮影/写真部・加藤夏子)

 10代で最初にこの話を聞いたときには、わけがわかりませんでした。でも、大人になり経験を積むうち、私にも少しずつわかるような気がしてきました。

 父は家に1円も入れることなく、それどころかあっちこっちに借金を作っては母が返済し、次々と恋人を作り、事件も起こしました。そんな母を、世間の人は気の毒に見ていましたが、母はいつも「とんでもない」と否定していました。それは本心からで、父の対処に追われればブラックホールに陥ることはない。父は必要なカオスだったのです。

――両親の遺品整理をすると、実に対照的だ。

 母はものを持たない主義でしたが、父は逆。ものがいっぱい。赤い靴下も大量に出てきました。父は、母の葬儀でも赤い靴下をはいていましたが、理由がなんであれ何かひとつ「こう」と決めたら徹底的にやり通す。ロックも社会的に成功したかどうかはわかりませんが、本人が納得する道を突き進みました。

 母が父に見いだした「純粋なきらめき」はそこにあったのだと思います。しかしそれは功罪相半ばするもので、周りが見えないから法に触れることをしてしまうし、生きづらさも抱えました。母はそのこともよくわかっていました。

 母の葬儀のご挨拶でもお話ししましたが、葬儀の直前、新婚時に父が母に送った手紙を偶然見つけました。探しものをしていたら、見たことのないアルバムがあって。パラパラめくると、私が子どものころ送った絵ハガキなどにまじって出てきたのです。ロンドンのホテルの便箋に綴られた手紙の最後はこう締められていました。

「メシ、この野郎、てめぇ、でも、本当に心から愛しています」

 腰が抜けそうになるほど、びっくりしました。母は私にそういうエモーショナルな部分を一切見せてきませんでしたから。気配さえ見せなかった。それだけに、父が綴った柔らかな気持ちを40年以上も大切に取っておいたことに、より情の濃さを感じずにはいられません。

 私は、ふたりのどさくさのなかからこぼれ落ちた産物と思い、肯定感を持ちきれずにいました。ところが、そうではなかった。純粋な思いのなかから生を得たことを知り救われました。


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