昭和天皇の戦争』などの著書がある山田朗・明治大学教授(日本近現代史)は「反省の気持ちがあるなら公にしたほうがよかった」と残念がる。「反省を口にすれば退位につながりかねないとの吉田茂らの懸念は理解できる。しかし戦前日本のトップだった天皇が口をつぐんだため、指導者の多くも自分の責任をほおかむりし、戦争責任の問題があいまいにされた。けじめがつかず、アジアとの関係で後々までひきずる結果となった」

 天皇が田島に対し、自身の政治的意見を率直に打ち明けていたことも見て取れる。とくに憲法改正による再軍備について、必要性をたびたび主張した。52年2月11日には「私は憲法改正ニ便乗して 外(ほか)のいろいろの事が 出ると思つて否定的ニ考へてたが 今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大ニ堂々と改正してやつた方がいゝ様ニ思ふ」と発言した。

 同年3月11日には「侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入(い)らぬが 侵略者が人間社会ニある以上 軍隊ハ不得已(やむをえず)必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」と語った。これに対し田島は「その通りでありまするが憲法の手前そんな事ハいへませぬし 最近の戦争で日本が侵略者といはれた計(ばか)りの事ではあり、それは禁句であります」といさめた。

 昭和天皇が防衛の問題に強い関心を持っていたことは、「米国による沖縄の軍事占領継続を望む」と47年に米国側に伝えたという「沖縄メッセージ」などから、ある程度は知られていた。しかし「こんなにはっきり改憲や再軍備について語っていたことが明らかになったのは初めて」と古川さんは驚く。

 発言からは、「統治権総攬(そうらん)者」「大元帥」だった戦前の君主意識が抜けきっていない実像が浮かび上がる。一方で、憲法や軍備に関する天皇の発言がこれまで表に出なかったことについて、古川さんはこうみる。

「天皇の発言が公になれば、政治への介入になりかねない。田島が、自身のもつ一般常識を踏まえて発言をいさめ、天皇が新憲法下の『象徴』の枠を超えて政治に巻き込まれないように腐心したことが見て取れます。天皇は田島を信頼し、ざっくばらんに意見を述べることで、どこまでなら公言してもよいのか見きわめようとしたのでしょう」

(朝日新聞編集委員・北野隆一)

AERA 2019年9月2日号より抜粋