英語に比べて責任主体が明確ではない、コアがないといわれる日本語の「余白」と「曖昧さ」。陽水さんの歌詞はとりわけその側面が強い。

「しかしそれは主体性がないということではなく、多角的であるということです。日本語は文脈に依存しがちな言葉で、周りの気配を感じとりながら、非常に繊細に、そして時には鈍感に、周りと接触したり同期をしたり拒絶したりしている。日本語の中に生きている私たちは、無意識にそういう作業をしています。『美しい日本の余白』といった考えも分かりますが、この英訳の作業を通して考え方が変わりました。その余白にはのっぴきならぬものがあって、埋めるように挑まれているのです」

(編集部・小柳暁子)

■ブックファースト新宿店の渋谷孝さんオススメの一冊

『えりちゃんちはふつう』は、静かに心に沁み込む、自伝的コミックだ。ブックファースト新宿店の渋谷孝さんは、同著の魅力を次のように寄せる。

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 両親、兄、姉と暮らすえりちゃんの家は、けっこうな貧乏でケーキなんて特別な日の食べものなのに、お金持ちの幼馴染み、ゆきちゃんの家ではそれが「ふつう」。こっそり兄や姉のマンガを読んだり、洋服を着たりするものの、見つかれば鉄拳制裁は「ふつう」。

 中学で入った部活で浮いてしまったえりちゃんに居場所はなく、不登校。「理不尽さ」と「劣等感」が「ふつう」だったあのころ、えりちゃんにできることは、ただマンガを描くことだった。きょうだいとのヒエラルキーや、親から受けたきょうだい間格差……。つらい思い出や、理不尽さ、悲しさを淡々とエッセー風に綴った自伝的マンガ。静かに心に沁み込んできます。

 つらい環境の中でも慣れればそれが「ふつう」。誰もが日常的に使う便利な言葉「ふつう」。「ふつう」っていったい何だろう……。

AERA 2019年8月5日号