日本人女子選手がオーストラリア代表として活躍! 国籍を超えたラグビー「代表」の決意 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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日本人女子選手がオーストラリア代表として活躍! 国籍を超えたラグビー「代表」の決意

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伏見美雪AERA
ラグビー・オーストラリア女子代表 小野麻子選手(29)/東京都生まれ。豪クラブチーム・クイーンズランド大学所属、クイーンズランド州代表。4月からオーストラリア女子代表。ポジションは9番スクラムハーフ(撮影/Miho Watanabe)

ラグビー・オーストラリア女子代表 小野麻子選手(29)/東京都生まれ。豪クラブチーム・クイーンズランド大学所属、クイーンズランド州代表。4月からオーストラリア女子代表。ポジションは9番スクラムハーフ(撮影/Miho Watanabe)

ラグビー・日本代表 山中亮平選手(31)/大阪府生まれ。早稲田大学在学中の2010年に初めて代表入り。神戸製鋼コベルコスティーラーズ所属。ポジションは15番フルバック(撮影/Miho Watanabe)

ラグビー・日本代表 山中亮平選手(31)/大阪府生まれ。早稲田大学在学中の2010年に初めて代表入り。神戸製鋼コベルコスティーラーズ所属。ポジションは15番フルバック(撮影/Miho Watanabe)

オーストラリアラグビー協会CEOのラエリーン・カッスルさん(48)(撮影/Miho Watanabe)

オーストラリアラグビー協会CEOのラエリーン・カッスルさん(48)(撮影/Miho Watanabe)

小野選手がコーチを務めるイプスウィッチ州立高校のラグビーチーム(撮影/Miho Watanabe)

小野選手がコーチを務めるイプスウィッチ州立高校のラグビーチーム(撮影/Miho Watanabe)

 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、もうすぐだ。海を越えて世界で活躍する選手が増えるなか、「代表」が国籍だけにとらわれないことを、ラグビーが教えてくれた。

【笑顔がいっぱい! 小野選手がコーチを務める州立高校の女子ラグビーチームはこちら】

*  *  *
 果敢に攻め続け、王者から大金星をあげたその戦いぶりが脳裏に焼き付いている人も多いはずだ。

 日本が優勝候補の南アフリカに逆転勝利をおさめ、「歴史的快挙」と騒がれたラグビーワールドカップ(W杯)2015年イングランド大会。あれから早4年。日本でのW杯が、この9月にいよいよ開幕する。

 だが、ラグビーが注目されるたびに、ある疑問の声が上がる。「なぜ日本代表には外国人選手が多いのか」という問いだ。

 確かに、19年W杯を目指す日本代表42選手のうち、海外出身は19選手いる。15年W杯でも、主将を務めたリーチ・マイケル選手を含む10人が海外出身だった。だが、外国人選手が多いのは日本代表に限ったことではない。強豪国ニュージーランドにもイングランドにも、外国人選手はいる。

 15人制ラグビーでは、現状、「当該国に継続して3年以上、もしくは累積10年以上居住」と「他国代表としての試合出場経験がない」の2条件を満たせば、代表入りが可能なルールになっている。だが、日本では外見や名前から目立ちやすいからか、疑問の声がなかなかやまない。

 そんな中、独特なポーズで世界中から注目を浴びた五郎丸歩選手は、南アに勝利した後、ファンの興奮冷めやらぬうちに、こうツイートしていた。

<ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ>

 翻って、この4月からオーストラリアの女子代表として活躍する日本人選手がいる。小野麻子さん(29)だ。

「ワラルーズ(オーストラリア女子代表の愛称)がアサコをレギュラーに選んだことは慧眼だと思う」

 そう語るのは、オーストラリア東部の都市ブリスベンから南西40キロにあるイプスウィッチ州立高校で、小野選手を教師兼ラグビーコーチとして採用している校長だ。真摯にラグビーに取り組む小野選手への称賛は止まらない。

「プレーヤーとしてアサコがすばらしいのは、いっさい振り返ったり踏み出したりすることなく、両サイドにパスができること。わたしの知る限り、このパスが左にも出せる選手はほとんどいない」

 小野選手がラグビーを始めたのは、中学1年生のとき。地元で所属していたラグビースクール「ワセダクラブ」でも、また、通っていた青山学院中等部(東京都渋谷区)でも、男子にまじって、ひとり練習していた。日本は、女子チームが十分に活動できる環境にはないと小野選手は言う。

 当時は試合もほとんどできなかった。「もっとうまくなりたかったし、もっと試合にも出たかった」から、高校1年で渡豪を決意。そのまま現地の大学に進学し、卒業してからも現地クラブチームでプレーすることを選んだ。


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