鬼籍に入った父に思いを馳せながら、男性は寂しそうな表情を見せた。建て替えを機に、土地は妹の名義に、建物は男性の名義へと相続も完了した。残る気がかりは、墓のことだ。旧農林省の役人だった祖父の墓は東京・多磨霊園にあり、草ぼうぼうで荒れ放題だったことを嘆いた父が亡くなる10年ほど前、きれいな墓に建て替えた。しかし、男性は同世代の妻とは事実婚で子どももいない。

「私がその墓に入ったとしても、いずれは無縁仏になってしまいますからね。さて、どうしますかね」

 核家族化が進み、子なし夫婦、離婚経験者、生涯未婚が珍しくもない昨今、この男性のように「墓」で頭を抱える人も少なくない。

 埋葬されている遺骨を、他の墓地に移す「改葬」は、全国で年間に10万件以上(厚生労働省調査)。ライフスタイルの変化に合わせて、墓を移し替えている人も増えているのか。

 母親の実家に近い愛知県豊橋市で育った油屋康さん(55)は小学生時代、既に病に伏せていた父に代わり、父の出身地の長崎市から土を持ち帰り、墓を作った。父は長年の闘病の末、1994年、66歳で亡くなった。父と仲の良かった母は5年ほど前から認知症を患い、今は兄の暮らす長野県内で介護施設を利用しながら生活している。墓石も長野に移したが、将来的に誰が墓の面倒を見るのか──。

 現在は都内在住で様々な起業に関わる油屋さんは、大手重機メーカーでエンジニアとして働くも、一念発起してソ連崩壊直前の1991年8月にロシアに渡り、モスクワ大学で学ぶなど5年間滞在した。帰国後に留学生仲間だった日本人女性と結婚。1男1女に恵まれた。その後、一家でニュージーランドに移住したものの、離婚を機に2012年帰国。その後、海外で暮らしていた子どもたちと一度は合流したが、再びバラバラの生活に逆戻り。とても墓どころの騒ぎではない。だが、

「子どもは親の所有物じゃなくて子どもなりの人生があるわけだから、そもそもハードウェアは残す必要はないと思っています。それよりも、いつかは一緒に事業ができるような関係になれればいいですね」

 と油屋さんは嬉しそうだ。では、墓はどうする?

「爺さん婆さんと子ども夫婦、孫が同居する戦前の家族スタイルに戻せば、住宅も税金も少なくて済む効率的な社会になるし、墓守の心配もなくなります。3世代同居を意識した街づくりに切り替えていくべきだと思いますよ。自分は完全に逆行してしまいましたが」

 油屋さんは、そう笑う。(編集部・大平誠)

AERA 2019年7月1日号より抜粋