というのも、舞台演出が斬新なのだ。大小さまざまなアクリルケースが配され、中にはそれぞれ書斎やバス、図書館、公衆トイレ、公園ベンチなどが並ぶ。開幕と同時に、少女姿の寺島が閉じ込められているケースが舞台の前を横切る──。

 異なるエピソードを映し出すアクリルケースは、独特の時間軸で動かされ、観客に時空を超えた村上ワールドを視覚的に体感させた。

 物語では、15歳の家出少年の田村カフカ(古畑新之)とナカタさんがそれぞれ旅に出る。道中、言葉を話すやジョニー・ウォーカー、カーネル・サンダーズなどシュールな登場人物と遭遇し、戦時中の記憶が現実に交錯したり、両者の間に不思議な接点がみえたりしてくる。後半、カフカ少年とナカタさんは運命的につながり、舞台は哀愁とノスタルジーに包まれる。

 書評家ジャン=ピエール・ティボデ氏は、自身のブログ「バラガン」で「同時並行する物語を、中越司の美術と服部基の照明が見事に再現した」と絶賛。「村上が小説に込めた情念を、蜷川も最後となった演出で共有していたに他ならない」と分析した。

『1Q84』をはじめとする村上作品はフランスでも大きな人気を誇る。小説『海辺のカフカ』も、06年にフランス語版が出版され、その年の出版売上ランキングで35位を記録した。

 なぜ村上春樹は、フランスで愛されるのか。推理小説家で、パリ第8大学の哲学および理数論理学のポール・ルビエール教授は、こう分析する。

「村上作品に共通する、現実と夢の世界を行き来する物語がフランスでの人気の理由では」

 フランスは、表向きには移民や他宗教を受け入れ、開かれた国をアピールしている。だが、その結果、失業者の増加やテロ、毎週土曜日に黄色いベストを着て政権へ抗議する「黄色いベスト運動」が昨年11月から続くなど、社会問題は山積している。

「フランス人の内心には、古きよき時代へ思いを馳せ、現実逃避をしたいという傾向があることは否めない」(ルビエール教授)

 村上春樹は、千秋楽公演を前に来仏し、フランスの学生ら5人との交流会に参加。翌日新聞でも報じられた。

「太古の昔、人類は火を囲み、体験を分かち合って危険に立ち向かった。小説家も読み手の心を躍らせ、心配事やおののきから解き放ちたいという語り部役を担っている。私の創作の原点でもあります」(仏ルモンド紙)

 自身も自負するように、村上が描く世界は、フランス人の心の駆け込み寺になっているのかもしれない。(在仏ジャーナリスト・斎藤珠里)

AERA 2019年6月3日号