米・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの「G1 SUPERCARD」。メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合、ジェイ・ホワイト対オカダ・カズチカ。30分を超える攻防戦の末、挑戦者のオカダが勝利 (c)朝日新聞社
米・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの「G1 SUPERCARD」。メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合、ジェイ・ホワイト対オカダ・カズチカ。30分を超える攻防戦の末、挑戦者のオカダが勝利 (c)朝日新聞社

 米・ニューヨークでの新日本プロレスの大会が大成功をおさめた。海外からもたらされ日本で独自の進化をとげたプロレスが、逆輸出され本場で熱狂的な支持をうけている。いま、なぜ日本のプロレスなのか。

【写真特集】聖地マディソン・スクエア・ガーデンは燃えた

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 4月6日(現地時間)は新日本プロレスにとって、まさに歴史的な一日となった。

「マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)です。全てのレスラーが憧れる場所。歴史的な瞬間なんです。選手だけでなく、我々スタッフにとっても」

 新日本プロレスの社長、ハロルド・ジョージ・メイ(55)は高揚を隠しきれなかった。「歴史が作られる」日の前日、報道陣とファンに向けて抱負を語った際のことだ。

 米ニューヨーク・マンハッタンにあるMSGは、米プロバスケットボール協会(NBA)のニックス、北米アイスホッケーリーグ(NHL)のレンジャーズが本拠とする。レディー・ガガのホームアリーナとしても知られ、多くの歌手にとっても夢の舞台となっている。

 そんな「世界で最も有名なアリーナ」を自称する会場は、格闘技の聖地でもある。

 藤波辰巳(たつみ=現・辰爾、65)が1978年、ここでWWWF(現・WWE=世界最大の団体)のジュニア・ヘビー級王座を獲得した。その姿に憧れ、一人の少年がプロレスラーを志す。少年は獣神サンダー・ライガーとなり、世界で大きな人気を誇るようになった。

 そのライガーも、来年1月でリングを降りる。引退発表の場では、MSGについて「原点中の原点。一度でいいから上がってみたい」と話していた。

 そして、4月6日。平成の終わりにそれは現実となった。

「第0試合」として行われ、30人が1分ごとに登場する「バトルロイヤル」で、ライガーは21人目に登場した。ほとんどの客が興奮して立ち上がり、「ライガー」コールがこだました。

 圧巻だったのは、選手たちが次々とリングから脱落していく中、最終場面でライガーとグレート・ムタ(56)が向き合ったこと。平成のプロレスを牽引(けんいん)してきた覆面レスラー2人が同じリングに立っている──。会場は揺れ、惜しみない拍手を捧げた。

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