作品の中の人々は個性のない黒いシルエット、「操り人形」のように表現されている。

「消費活動ばかりをうながす社会の強制から逃れ、いかにして芸術を生活に取り戻すのかが重要です。ダンスは観客を自由にしますが、そのためにはダンサー自身の内側から生まれた、深い表現を見せる必要があります。プロとしての技術を持ちすぎていると、ダンサーは自分に関わるパーソナルな表現をしなくなっていく。そこに振付師の役割が生まれるんです」

 KYOTOGRAPHIEの共同ディレクター・仲西祐介さんがミルピエさんと出会ったのは2年前。

「アルル国際写真祭でミルピエさんがおこなった、映像とダンスの融合が素晴らしかったので、終演後に声をかけたんです。そうしたら『写真も撮っている』と。映像のフレーミングが独特で面白かったので、KYOTOGRAPHIEでの展示を検討しました」(仲西さん)

 KYOTOGRAPHIEでは写真を専門としない作家の展示も必ず含めている。

写真家ではない人の作品には『写真を撮るとはなにか』という、根源的な問いに触れるものがあると考えるからです」

 仲西さんはそう語る。それはミルピエさんの次の言葉と通じるものがあるだろう。

「私はダンサーとコラボレーションをしながら作品を作ります。その過程で、ダンサー自身にとっても思いがけない、自分にしかできないユニークな表現が生まれることがある。そうした表現こそが観客に伝わり、感動を呼ぶ。私が撮影しているのは、証明写真のような美しいポーズではなく、ダンサー自身も気づいていなかった自分の表現に出合った『変容の瞬間』なのです」

(ライター・矢内裕子)

AERA 2019年4月29日-2019年5月6日合併号