28歳で大学の薬学部に入学し、昨年卒業した大家さんは浮き沈みの大きな人生を送ってきた。

「大学受験に失敗して浪人中に父が末期がんで亡くなり、祖父の代から経営してきた事業の負債や残りの住宅ローンの返済を、背負うことになったんです」

 朝晩に飲食店でアルバイトをしながら、昼間は自営でさまざまな事業を手掛けてきた。少し儲けては失敗を繰り返す日々。

「働くなかで、少しずつお金の稼ぎ方や社会での振る舞い方を学んでいきました。でも、取引先や銀行から信用を得る上で、やっぱり大学を出ていないとダメだと感じることが多くて……」

 一念発起し、受験勉強を再開。見事大学合格を果たしたが、入学後も学費を稼ぐために働き詰めで、過労と睡眠不足で心身ともに限界に近づいていた。大学5年のある日、車を運転中に居眠りし、ファミレスに突っ込む物損事故を起こしてしまう。

「それで糸が切れたというか。将来に対する色々な不安で頭がいっぱいになってしまって」

 苦しい日々が続いたが、このままでは何も変わらない。いまだからこそ、あえて苦手なことに挑むことで不安を克服しようと、つばさ基地にやってきた。

「通い始めた頃は体がカチンコチンで、逆立ちどころかスキップすらできませんでした」

 1年経ったいま、自力でバク転が跳べるまでになった。練習を積む過程で、精神面の変化も感じている。

「跳ぶのは毎回怖い。でも先生の助言を受けて体の状態を確認することで、自分を客観的に見られるようになりました」

 気づいたのは、肉体と対話することの大切さだった。いまできること、できないことを、肉体は一切偽ることなく教えてくれる。それが凝り固まった悪い思い込みを崩してくれた。
 いま考えるべきことは、いまの自分にやれることは何か、だ。

 過度に不安視することもなくなり、「今までの仕事の経験と大学で学んだ知識を生かして、弱者に優しい医療施設をつくれたら」という夢が生まれた。

 後ろ向きに跳ぶのに、なぜか人を前向きな気持ちにさせる。バク転には、そんな不思議な魅力があるのだ。(ライター・澤田憲)

AERA 2019年4月15日号