村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)/1988年、スウェーデン生まれ。ホームステイを経て、19歳で日本へ移住、4年後に造園業に入る。26歳で日本国籍を取得し、改名(撮影/篠塚ようこ)
村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)/1988年、スウェーデン生まれ。ホームステイを経て、19歳で日本へ移住、4年後に造園業に入る。26歳で日本国籍を取得し、改名(撮影/篠塚ようこ)

 北欧出身の庭師、村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)さんによる『僕は庭師になった』では、自身の半生と日本の伝統文化への思いがつづられる。スウェーデン生まれの青年はなぜ、日本文化に魅了され徒弟制度で職人を志し、日本国籍を取得したのだろうか?

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「職人の修業は無駄だという考えがありますが、僕はそうは思いません。むしろ急がば回れで、技術を効率よく身につけられる徒弟制度は、今こそ見直されるべきです」

 村雨辰剛さんは流暢な日本語で、そう語る。日本で伝統文化に関連した仕事につきたいと、スウェーデンから来日。庭師を志し、2015年には日本国籍を取得した。昨年はNHKの番組「みんなで筋肉体操」がブレーク。本書では日本文化になぜ惹かれたかを自分自身で書いた。

「少しでも日本庭園のことを知ってもらいたくて、ツイッターを始めたら、取材が来るようになりました。筋肉体操は驚きましたが(笑)」

 中学校の歴史の授業を通じて、戦国時代の武将たちや日本の美意識を知り、日本語を学び始めた。17歳で3カ月のホームステイを経験。同時期にジムへ通い、本格的な筋トレもスタート。

「おかげで徴兵ではレンジャー部隊に合格しました。迷ったのですが、入隊を辞退して高校卒業後、19歳で英会話教師として来日しました」

 休日になると仕事へのヒントを探しに出かけたが、きっかけは見つからなかった。転機は11年。英会話教師の契約が切れるタイミングで、東日本大震災が起こった。家族の心配もあり、いったんは帰国。その後、再来日し、造園業でのアルバイトから、庭師を志す。外国人であることが壁となり、数十社から断られたが、縁あって、愛知県の加藤造園へ弟子入りが決まった。

「僕の場合は徒弟制度や生活面よりも文化の違いに対応するほうが大変でした」

 移り住んだ愛知県西尾市吉良町では外国人が珍しく、最初の頃は「まかせて大丈夫か」と見られていたという。

「偏見があるのは覚悟していました。逆に打ち解けてからは家族のように接してくれました」

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