映画でしか起こらない空気感に満ちた場面だ。

「あそこはカットを割っちゃいけない、引きなんです。それで芝居で押すから、じわじわくるんですかね」

 母がスッと現れ、父のシャツのボタンをひとつふたつ外す何げないシーンがある。

「所作というのか、ああいうものは狙って出せるものじゃない。その人がやるしかない。その一つで、その方が抱えているものや経てきているものが、うわっと出てきちゃうということがあって」

 まさに、「この人がやるしかない」というキャスティングばかりだ。安田にとってとりわけ印象的なのが、母の墓石を選びに行った後、男3人で煙草を吸うシーンだという。

「あの時も何だかわからないが一緒に芝居をしていて、『あ、映画だ』と思ったんですよ。『あ、いま映画撮ってるんだ』と」

 映画の序盤はナレーションも多くテンポよく進行するが、母が亡くなった後を描く後半からはナレーションがなくなり、それまでとは違う世界に移行していることを観客も肌で感じるしかけになっている。

「原作はモノローグが多いこともあり、宮川さんの実体験のところは、原作の世界観をきっちり説明しています。監督が描きたかった、母親が亡くなった後に残された人たちがどう再生していくかという部分は、意図的だと思いますが、ほとんどナレーションがないんです」

 ラストで主人公は母からの贈り物でその死を受容し、「死にはエネルギーがある」というポジティブな死生観に至る。その思いを机に向かい手紙に書く安田に、手書きの文字がオーバーラップする。この文字は安田自身のものだ。

「あの言葉は、そのシーンの撮影が始まる3、4日前から何度も実際に書いているんです。そらんじてしゃべれるようにもなっていた。文字ってすごく思いが乗るんだなと思いました」

 母子手帳を見るシーンで撮影に使われたのは、原作者・宮川の母親が実際に使っていたものだという。

「監督、何も言わないんです(笑)。テストの時にパッと箱を開けると、宮川さんのお母さんの実際の文字が書いてある母子手帳が入っているんです。生まれた時は何グラムだったとか、何を食べさせたとか。親が子を思う気持ちというものが、母子手帳の中に一杯書いてあって、伝わってくる。文字にはすごい力があるということを、まざまざと見せつけられました」

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