大きな花輪を出すのは「見え」の循環を促進するため。同じ足から靴を履くのはレギュラー感がない生き方に規則を作りたいから。手を買うのはそもそも”水商売”だから。「運命的だわー」と言うのは、その人が自分との出会いを運命と思ってくれるから。神社に行くのは感度のメンテナンスをするため。お歳暮お中元を欠かさないのはそれを怠って良いことなんか何も無いからである。

 注目してほしいのは、(2)~(5)だ。特徴は金にまつわること。これは私が、特に売れっ子領域に入って初めて感じたのだが、こういったことを心がけている人が驚くほど多かった。金に対して意識してこなかったことで、自分は「売れない」状態になっていたのか!と思えてならないほど、売れっ子たちは金に敏感な人たちばかりであった。

「金の出入りを意識する」ということだろうか。人に□を与え、その返りをまた次へ返す。その□を「金」とするか「情」とするか「得」とするか。いずれにせよ人の足りていない何かに訴え、課金いただく。その縁を「円」に変えるということか。欲望と言うと味気ないが、つまり生きる意欲を循環させて、自分も得をしようと。

 人に花輪は送らないのに、自分は花輪を欲しがるというのでは縁は薄くなって当然だろう。毎回「ただの花にこんな高い金、何の意味がある」と思う気持ちをグッと耐えてみる私がそこにいる。

AERA 2019年2月18日号

著者プロフィールを見る
マキタスポーツ

マキタスポーツ

マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。子供4人。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである。』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。近刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)。『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)発売中。

マキタスポーツの記事一覧はこちら