80代の親が50代のひきこもりの子を養う「8050問題」が深刻だ。そこには、いかなる構図が存在するのか。ライターの黒川祥子氏が追った。
※「50代ひきこもりと80代親のリアル 毎年300万円の仕送りの果て」よりつづく
* * *
開業医の長男として生まれたその男性(51)は、髪は後退して白髪も目立つが、長年ひきこもっていたとは思えない、清潔で爽やかな印象だ。
暴君である父の「医者になれ」という、時に暴力も伴う「教育虐待」のもと、男性は成長した。
2浪して合格したのは、教育学部。教員採用試験に受からず、塾講師をしながら勉強を続けたが、27歳の時に心が折れ、体が動かなくなり、ひきこもった。
「昼夜逆転の生活です。将来を考えてもつらくなるだけなので、考えることを放棄しました」
仕送りで生きていたが、31歳の時、母親の勧めで家に戻った。
「少し休めば気力も湧くかと思ったのですが、どんどん落ちていくばかり。次へ踏み出せない」
母は支援機関や精神科医などへ相談に出向くものの、近所には息子の存在を隠し続けた。
「母に、『この先、どうなるの?』と言われるのがつらいし、父への恐怖もあり、2階の自室からなるべく出ないようにしました」
30代半ば以降、誕生日を敢えて意識しないようにした。
38歳の時、母が探してきたNPOに勧められるまま出かけ、「ひきこもりだけで作る本屋」のオープニングスタッフになった。その後、同NPO代表の紹介で非常勤講師として公立小学校の教員になり1年、勤務した。
「自分は流されてしまうんです。教員なんて激務は無理だった。言われるがまま引き受け、ダメになってしまう。心がもたない」
41歳でひきこもりに舞い戻り、49歳まで自室からほとんど出ない生活を送った。
「今は両親がいるから、食事もできるし生きていける。こんなの、続くわけがない。破綻する」
不安でたまらなかったが、考えることを先延ばしにしていた。親の家を出たきっかけは、母が出会った支援者の存在だ。