「絶対に会いたくなくて、ずっと拒否していました。でもその人は、僕の今を否定しなかった。むしろ『どうやったら、快適にひきこもれるか、考えようよ』と。そう言われた時、はっきり思ったんです。僕は、親の家でなんか、生きていたくないって」

 男性は単身アパートを借り、生活保護を受けた。今は週4日、5時半に起床し、夕方まで遺跡の発掘調査のバイトを行う。生活保護という下支えは必要だが、充実した日々だ。

「自分に合っている仕事だと思います。面白いし、やりがいを感じています。学芸員の資格を取ろうかとも思っています」

長年、ひきこもりの支援を続け、8050当事者の支援も行う、NPO法人の代表の男性(68)は、「就労」がゴールではないと言う。「50世代」には実際、こう声をかけていく。

「確かに、もう若くはない。でも折り返しだよね。生きたかった『わたし』を、ちゃんと生きてみようよ」

 親元から離れて、自分をどう生きていくのか、一緒に考えていくプロセスこそが重要だと、男性は考えている。

 8050のありようは、家族の数だけさまざまだ。しかし、当事者家族に出会うたび、男性はこう思えて仕方がない。

「家族だけで、閉じた結果の病のように思えます。とにかく家族だけでは立ち行かないのに、外へSOSを出すことが恥だという文化があり、親自身が行き詰まってやむなく助けを求めるという構図です。そこに、ここまで長期化した原因がある」

 いまの70~80代の親たちはなまじ養える財力があり、世間からひた隠しにされ、人生を台なしにされた中高年ひきこもり。高度経済成長期とバブル期を経た家族の、一つの行き着き先をここに見る。

 生活困窮者自立支援法が施行されたのは15年。自治体の40代以上のひきこもり支援はようやく始まったばかりだ。(ライター・黒川祥子)

AERA 2019年2月11日号より抜粋