辺見庸(へんみ・よう)/1944年生まれ。共同通信社勤務を経て91年『自動起床装置』で芥川賞、94年『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞、2016年『増補版1★9★3★7』で城山三郎賞をそれぞれ受賞(撮影/今村拓馬)
辺見庸(へんみ・よう)/1944年生まれ。共同通信社勤務を経て91年『自動起床装置』で芥川賞、94年『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞、2016年『増補版1★9★3★7』で城山三郎賞をそれぞれ受賞(撮影/今村拓馬)

 作家・辺見庸さんの新作は実際の障害者殺傷事件に着想した長編小説『月』。重度障害者である「きーちゃん」を語り手に、ジェノサイド(集団殺害)に向かう物語と風景が描かれる。抹殺してもいい人間存在とは何か。著者の辺見さんに、同著に込めた思いを聞いた。

*  *  *

<さとくんにびみょうな変化があるようだ。気のせいだろうか。かれはなにかだいじなことをぼんやりとかんがえているみたいだ。なにかにめざめたのだろうか。息づかいが以前とはちがう。なにかをさとったひとのように、息が妙に重くなった><アンナモノヲ、ナンデイカシテヤッテイルノカ……。いうまでもなく、かれはあたしに答えをもとめたのではない。かれはじぶんにいいきかせていた>

「きーちゃん」は「園」の入所者。性別も年齢も不明。目が見えない、発語ができない、体も動かない。ただし、かなり「自由闊達」に<おもう>ことができるようだ。「さとくん」は園の職員。明朗快活で慕われていたが辞職。ある決心をして園に戻ってくる。物語はきーちゃんとさとくんの独白や内面の風景を軸に展開し、ジェノサイド(集団殺害)へと突き進む。それは3年前に相模原市で起きた多くの障害者が殺傷された惨劇に重なってくる。

「事件をなぞったつもりはありません。無力な存在であり視野に入らない存在の側、向こう側から何が見えてくるのかを描いた。こちら側の視点ではなく『さとくん』に殺される側の視点でその声を伝えたかった。あれは世界史的にも大きな事件でした。しかしその評価や重きの置き方ではメディアとも識者とも隔たりを感じる。それは(昨年の)死刑の大量執行に際しても同じことで、ジェノサイドの政治性という意味が全く感じられないのです」

 きーちゃんの思考のなかで、ある哲学者が書き記したことばが浮上する。「現実を覆っていたことばとイメージが、現実によって引き裂かれてしまい、現実がその裸形の冷酷さにおいて迫ってくることになる」。それは、日常のなかで起きたジェノサイドをめぐる言説に突き付けられたことばではないだろうか。

「小説が単調なメッセージになるのが一番嫌ですね。大状況を語ったり、状況に対応してモノを書いたりするつもりはありません。ことばの力は読者が決めること。(タイトルの『月』については)『月』とは折々の風景のことです。その風景に昼と夜があり、半月なり満月がある。特段の思いを込めたわけではないけれど、すぐに決まりました」

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