本庶さんと小野薬品工業の出合いにも、プロスタグランジンの開発が深く関わっている。

「プロスタグランジンの成功後、新たな創薬研究の新機軸として期待したのが遺伝子工学でした。そこでプロスタグランジンの開発でご指導いただいた早石先生(京大名誉教授の故・早石修さん)から『私の優秀な門下生を紹介しよう』と紹介を受けたのが本庶先生でした。小野薬品は81年から、当時大阪大学に在籍していた本庶先生の研究室に研究員を派遣しています」

 のちのオプジーボの開発に条件付きでGOサインは出たが、試練はここからだった。抗体技術を持つ国内外の十数社と接触し、共同開発を探るも全滅。冒頭の一言は、そんな交渉時にかけられた言葉の一つだという。

「免疫療法でがんを治療するのは無理とはっきり言われました」

 ターゲットをベンチャー企業にも広げ、ついに共同開発相手が見つかったのが翌03年。アメリカのメダレックス社だった。抗体技術を持つ上、別のがん免疫薬の開発を進めており、小野薬品との共同開発に関心を持ったのだ。ただ、社内での知名度は低く、ベンチャー企業に対する不安も大きかった。

「何度も会議で激しい討議が繰り返され、プロジェクトチームのメンバーには厳しい言葉も浴びせられましたが、最後は研究者の熱意と当社の“やってみなはれ”精神でメダレックス社と共同開発することを決めました。これがオプジーボ誕生の上で最大の決断だったと思います」

 こうして05年に抗PD-1抗体「ニボルマブ」(商品名オプジーボ)が誕生するが、まだまだ試練は続く。製品として販売するためには、患者を対象とした臨床試験が必要だ。有効性と安全性などが確認され、初めて新薬として承認される。

 ところが、臨床試験が実施できない。がん専門の病院に持ち込んでも、使うどころか興味さえ持ってもらえない。オプジーボのがん細胞へのアプローチはこれまでの抗がん剤とは異なり、

「こんなメカニズムで抗がん剤ができると思っている、あなた方を理解できない」

 そう、専門医にあきれられることもあった。がん細胞は自らが攻撃を受けないために、免疫細胞の機能を抑制する仕組みを持っている。オプジーボはその仕組みを阻害し、患者自身の免疫機能でがん細胞を攻撃する新しいタイプのがん治療薬だ。

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