気持ちが変わったのは14年、第1子の育休中だ。子どもには「自分のやりたいこと」を追求してほしいと願っているのに、自分自身はどうなのか。本当にやりたいのは社会貢献なのだと気づいた。そのとき偶然TFTで求人をしていることを知り、安東さんと活動した日々を思い出した。

 転職後は、日産で磨いたマーケティングのスキルが生きた。おにぎりアクションの写真の投稿数は初年度5千枚から翌年には11万枚に。さらに嬉しいことに今年、古巣の日産が新たに協賛に加わった。

 折に触れて関係を結び直し、自ら生み出した密なネットワークに苦境を救われた人もいる。

 外資系のラマダホテル大阪(13年閉館)の広報から、40代半ばにして、IT人材の転職支援・育成を手がけるパソナテックに転じた森真紀さん(49)。

 5回目となる転職で鍵となったのは人脈だ。新卒で入ったネスレ日本の時代から、営業、広告企画、広報と職種を変え、様々な業界を渡り歩く中で人脈を確実に広げていった。

 転職すると、前職時代に知り合った人とは疎遠になりがちだが、たとえ5、6年ぶりでも、ちょっとした近況の変化に気づけば、ご飯に誘う。ウマが合いそうな人がいれば、仕事の損得や駆け引きなしで、どんどん引き合わせるようにもしてきた。

「気がつくと、『ラマダホテルの森さん』などではなく、個人の『モリマキ』として認識されるようになっていました」

 前職のホテルの閉館が報じられると、SNSであちこちから「モリマキさん、大丈夫?」と連絡が入り、具体的な転職先まで持ちかける人が6人もいた。

 その一人が、関西で活躍するDJ、RIOさんで、中学からの親友だという粟生万琴(あおうまこと)さんを紹介。粟生さんはパソナテックで女性初の執行役員(現在はJob-Hubのエグゼクティブフェロー)で、名古屋の自宅と東京を往復しながら子育てもしているパワフルな女性だ。3人で飲みに行き、森さんはすぐに「こんなカッコいい人と一緒に働けたらいいな」と思った。一方の粟生さんは、こう振り返る。

「RIOが『めっちゃ仕事できるで。気が利くで。絶対あんたを支えてくれる人や』と。確かに気遣いの人で、広報として有能なのはもちろん、年齢や男女問わずに好かれる人だと思いました。だからぜひ来てほしいと」

 森さんは、ハッカソンのことを「ハッカを育てている村」と勘違いするほどITに疎かったが、すぐ慣れ、この11月からはパソナテックが業務提携するモンスター・ラボに「ブランディング室長」として出向。同社は世界中のITエンジニアを活用してゲームやアプリ開発を行う会社だ。

「また新しい経験ができる。ワクワクしています」(森さん)

(編集部・石臥薫子、石田かおる)

AERA 2018年11月17日号より抜粋