
今年デビュー20周年を迎えたクレイジーケンバンドの横山剣さんが、AERAの表紙に登場。多数のアーティストに楽曲提供する作曲家として活躍しながら、自身もマイクを握り歌い続ける横山さんに、20年の音楽活動を振り返っていただいた。
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「最近聴く音楽がない」。そう嘆く耳の肥えた大人から圧倒的な支持を集める、横浜が生んだ“東洋一のサウンドマシーン”クレイジーケンバンド(CKB)。
ロック、ファンク、AOR、歌謡曲……すべての音楽ジャンルを咀嚼する強靱な胃袋のようなCKBの世界に身を委ねると、そこは音の満漢全席、熱烈歓迎の世界だ。
ほぼすべての楽曲の作詞・作曲を手掛ける横山剣(58)の音楽活動歴は長い。
小学生の頃から作曲家を志し、21歳の時、わずか17歳の時に作詞・作曲したロマンティックなR&B系ナンバー「シンデレラ・リバティ」でクールスR.C.のメンバーとしてデビュー。その後、東京のラッツ&スターと人気を二分する横浜のロックンロールバンドだったダックテイルズ、渋谷系と同時代にはAORのZAZOUで活動。SMAP、関ジャニ∞、TOKIOなどへの楽曲提供もしている横山にはかつて専業作曲家を考える時期もあったが、「こんなに歌が上手い人が歌わないのはもったいない」と考えた廣石恵一(ドラムス)の誘いで再びマイクを握る。
「『日本一のアマチュアバンドになりましょう』と言われました。前に出たがりではないんですが、廣石さんがお神輿のように乗せてくれて」
1997年、CKBを結成。芸能的な活動やバンドの解散といった音楽ビジネスの酸いも甘いも経験したその先にあったものこそがCKBだった。王道の中に奇抜さと愛嬌を兼ね備えたライブパフォーマンスも、シャイネスとサービス精神という両極端な資質から発せられるもの。
「お客さんからのフィードバックはあります。ケミストリーですね。乗せられちゃいけないと思いながらも、『負けた!』と乗せられます」(文中敬称略)
(編集部・小柳暁子)
※AERA 2018年10月1日号

