被爆者の平均年齢が82歳を超えた今、これまで被爆の事実を隠してきた人たちも、生活が安定し、子ども独立して、少しずつ話し出す環境が整ってきているという。これには別の意味もあると小倉さんは言う。

「死期を考えた被爆者はね、自分の生きている意味を思う。特に先に死んだ家族や子どもの、助けて助けてという最後の顔が忘れられずに自分を罰しながら生きてきた人たちは、あの世に行った時、死んだ子どもにどう言おうかと思う。そして、死ぬ前に何かしなきゃと、すごい焦りを感じるの」

 広島の犠牲は、世界の戒めにはならなかった。核兵器保有国は増え、今も北朝鮮やイランなど核をめぐる問題は消えない。それでも小倉さんは「73年も広島にいたら、世界は変わってきているとひしひしと感じる」と、うれしそうに話す。

 大虐殺を経験したルワンダの人たちが、心の平穏を取り戻すカギを探したいと言って広島に来る。英国が旧植民地の豪州で1950年代に繰り返した核実験の影響を受けたとする先住民(アボリジナルピープル)が広島から訴えを発信したいと来日する。核兵器関連施設で働いていた米国の労働者らが広島なら話を聞いてくれるとやってくる。最近は大学生や中高生、家族連れの外国人も多くなった。そのたびに英語で対応する小倉さんの手帳は、体験を話す予定で連日埋まっている。

 そうした活動のために小倉さんが立ち上げた「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」は約30年の活動で、当初約20人だったメンバーが約160人に増えた。8月6日はHIP主催で英語による被爆体験講話会を開催。小倉さんら被爆者らと自由に議論ができ、誰でも参加可能な催しだ。その後の交流会では毎年、外国人の参加者同士が被爆者とともに議論を交わしながら親睦を深めている。

 小倉さんは言う。

「それぞれの目的で世界中から来る。広島はもう訪れなければいけない場所になった。それを受け止めて、知りたいことを知らせる。被爆者が経験を隠さずに話すから臨場感や現場感が生まれる。大変だけど、これからも世界に証言を続けていく」

(AERA編集部・山本大輔)

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