「でも結局、彼はできませんでした。初公判を前にして、『修行により体内にためたエネルギーが、看守に体を触られて消えてしまう』って言う話でした。彼は、時間も空間もそして重力も人間の力によってコントロールできると本当に思っているようでした」

 弁護団のそうした姿勢が、しかし、「裁判引き延ばし」と批判される風潮になっていたのも事実。その過程で、後で詳しく述べるが、安田氏自身も98年にオウム事件と関係のない強制執行妨害罪で逮捕(一審は無罪)され、結果的に、途中で「被告を放り出さざるを得なくなった」。その「無念さ」もあるという。

「僕は『彼』とは三つの面でかかわりを持ちました。弁護人として、家族や弟子たちとのパイプ役として。そしてまた破防法適用をめぐる教団の今後についても相談に乗りました」

 死刑廃止運動でも知られていた安田氏が松本被告に初めて会ったのは95年秋。場所は警視庁の留置場の接見室で、それは、10月26日に予定されていた初公判が横山昭二弁護人の突然の解任劇で取り消しになった後だった。

 突然、弁護士会に呼び出され、国選弁護人就任を依頼されてから4日後の夕方。安田氏は、それまで「何よりも本人の意向を聞かなければ引き受けられない」と回答を留保していた。

●メロンではなくバナナ

「彼(松本被告)は、開口一番、『あなたをお待ちしていました。あなたの名前は聞いていました』。驚きました。後から知ったことですが、当時、弁護士会と、オウム事件の他の被告人の弁護人サイドが、それぞれ別々に国選弁護団を編成しようと動いており、その双方で僕の名前が挙がっていたんだそうです」

 安田氏は、月5~10回のペースで彼に接見した。

「短いときで1時間。警視庁に勾留されている時は、夕方から翌朝まで続くこともありました。今でもそうですが、裁判所が彼を接見禁止にしているものですから、弁護人以外の人はたとえ家族であっても会うことができません。もちろん、手紙のやりとりもできません。しかし、衣類や食料の差し入れはできます。当時は、教団の差し入れがありました」

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