タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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やってしまった。まさかこんなひどい失敗をするなんて。
仕事仲間の送別会。私はスピーチでこんな話をしました。
「〇〇さんが着任した時、『わ!“オジサン”が来た、ケンカしちゃったらどうしよう』と緊張したんですけど、話してみたらピュアで繊細な方で……」。ご当人は「オジサンはショックだなあ」と笑っています。「いえ、第一印象と全然違ったって話です。愛情表現です!」と返した私。
帰りのタクシーの中で自分の発言を振り返ってハッとしました。これ、典型的なハラッサーの振る舞いじゃん。オジサンをオバサンに入れ替えて、もしも自分が言われたらと想像したら、絶対許せん。
私、その手の無神経な人をめちゃくちゃ軽蔑していたのに! しかも「悪気はない、愛情表現だから」って最低の言い逃れまでしてしまった。ひどく落ち込んで、参加者にお詫びのメールを出しました。
あの時、たくさんの中年男性を前にして、私はオジサンという言葉に「父権主義的で頑固な」というネガティブな意味を込めました。だってほんとじゃん、て内心思いながら。その上、かつて女性社員に人気だったという別の男性には褒めたつもりで“プリンス”と言ったりもしたのです。そう言えば先日、あるイベントでも緊張のあまり下品な話をしてしまいました。必要以上に露悪的になって。
これまで女性蔑視的な言動には腹を立ててきました。と同時に、それに適応しなくちゃとも思い込んできました。下品な冗談も、仕事の会話ではお馴染みでした。
だけどそんなのもうやめよう!と思ったんです。だからここでも繰り返しそう書きました。全ての中年男性が悪者じゃないし、プリンスと言われて喜ぶわけでも、下品な話が好きなわけでもないこともわかっているつもりでした。
結局、私も何も変わってなかったんです。
刷り込まれた行動パターンは、ふとした時に無意識に出てしまうもの。セクハラは理屈抜きの条件反射であるという視点がないと、根絶はできないと身をもって知りました。
※AERA 2018年7月9日号