歌声を披露する宮城県内の高校生たち。この日のために合同練習を重ね、終了後「楽しんで歌えました!」と声をそろえた (c)朝日新聞社
歌声を披露する宮城県内の高校生たち。この日のために合同練習を重ね、終了後「楽しんで歌えました!」と声をそろえた (c)朝日新聞社

「3.11」から7年。仙台で開かれた音楽祭で、復興への願いと祈りを込め、シンガー・ソングライターの秦基博さんと宮城県の高校生が合唱した。

 被災地の高校生と、シンガー・ソングライターの秦基博(はたもとひろ)さん(37)の歌声が、約1800人が入った満員のホールに響き渡った。

 3月28日、仙台サンプラザホール(仙台市)で開かれた「復興支援音楽祭 歌の絆プロジェクト」(主催・三菱商事、東日本放送、朝日新聞社)。歌の力で被災地を応援するイベントで、2014年3月に仙台でスタートした。今年は5回目で、被災3県を回り、再び仙台に戻ってきた。参加した高校生は、気仙沼、塩釜、仙台二華(にか)、仙台西、仙台東、多賀城、古川黎明(れいめい)、宮城県農業の宮城県内八つの高校から総勢94人だ。

 高校生による「花は咲く」「群青」「夢と希望の絆(わ)」「Furusato」などの合唱に続き、後半は秦さんのライブ。持ち歌の「アイ」「トラノコ」「鱗(うろこ)」など5曲の名曲を、「鋼とガラス」と比喩される力強く透明感のある歌声で熱唱した。フィナーレを彩ったのは、秦さんの大ヒット曲で、ドラえもんの映画の主題歌にもなった「ひまわりの約束」だ。秦さんは高校生たちをステージに上げると、ともに大合唱。大切な人を思う切なさを歌った歌詞が、観客の心をぎゅっとつかんだ。

 7年前の3月11日。地震、津波、そして東京電力福島第一原発の事故によって東北は大きなダメージを受けた。年数を重ね、津波で流された街には新しい家が建ち、原発事故のあった地域では除染作業が進む。しかし、何年たとうとも、被災した人たちから消えることがないのが震災の記憶だ。

 あの日、気仙沼高校合唱部長の菊田日香里さん(17)は、小学校のコンピューター室で調べものをしていた。当時、小学4年生。長く強い揺れが続き、パソコンが落ちてきた。やがて市内を流れる大川の岸辺にあった小学校に津波が押し寄せ、校舎1階が水没。日香里さんたちは校舎の3階に逃げ込み、寒い一夜を過ごした。家族も自宅も無事だったが、燃料タンクの爆発による引火で「火の海」と化した街を見た。しばらくは夜寝るのが怖かった。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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