「カーリングは、スキップが戦略を指示する、リーダーシップの強い競技だと思います。『そだねー』と声をかけ合う和気あいあいとした様子や、『もぐもぐタイム』を見て楽しいと感じるのは、日本人の特性かもしれません。『私たちは同じことを考えています、仲よしで、何の問題もありません』。そんな親密な関係性を自分のことのように感じられて、うれしいということではないか」(同)

 こうした精神性こそ、本居宣長が日本人の特質として表現した「大和心(やまとごころ)」ではないか。そう金田一さんは考えている。

 多くの人が共感に惹(ひ)かれるのは、日本人の文化伝統からだけではなく、近年蔓延する「相手に話が通じない」という感覚の、反動もあるかもしれない。

「話が通じない」背景を、東京工業大学准教授で社会学者の西田亮介さんはこう分析する。

「20年ほど前まで、ニュースなら大きな勢力を持つ全国紙やテレビ番組があり、人気の音楽番組があり、子どもたちは皆『少年ジャンプ』や『りぼん』など、大人気の漫画雑誌を読んで、日本では同世代の多くの人間がメディアを通じた共通体験をできていました。ところが、それは急速に失われつつあります」

 ネットメディアが台頭し、日常的に触れるメディアが多様化し、人々の情報の立脚点はバラバラになった。加えて、世界情勢も複雑化した。

「冷戦終結前まで、政治や社会を議論しやすい面はあったかもしれません。現在は、国家も非国家も複雑化し、自分の周囲50センチ以外のことを語るのは難しくなりました。周囲50センチ以内で話すから、互いの話が通じないのでしょう」(西田さん)

 ツイッターでもヤフーニュースのコメント欄でも、論旨から外れたコメントが飛び交い、誤読されたまま反駁(はんばく)されるのは日常茶飯事だ。言いたいことを言い合っていると考えれば、腑に落ちる。

 脳科学者の茂木健一郎さんも、同様の意見だ。

「内容を理解できていなくても、日本語ならば言葉をつなげられます。言葉は、理解不足を自覚しづらいものなんです」

(編集部・澤志保)

AERA 2018年4月16日号より抜粋