一方の蜷川は、20代半ばでメキシコを訪れた際、「見たこともないようなカラフルな骸骨が至るところに置かれている」光景に衝撃を受けた、と振り返る。

「スカルのモチーフに、180度違うものが同居していた。もともと、陰と陽が一つになっているものが好きなんです。人の死とカラフルでポップなものを同居させる、という死生観に惹かれました」

 このときの滞在は「死者の日」から少したった頃だったが、「いつか行ってみたい」という気持ちを抑えられずにいた。

「死者の日」について、日本で言えば「お盆」と書いたが、礼服で故人をしのぶようなものとはまるで違う。それぞれの家へと続く、死者のための道標がわりのマリーゴールドが街中にあふれ、死者の世界と生きている者たちの日常をつなぐ。街には音楽が鳴り響き、人々は踊り、酒を飲み交わす。明るさと楽しさに包まれた、陽気な“お祭り”なのだ。

 蜷川がテレビ番組の企画で実際に「死者の日」にメキシコを訪れたのは、それから20年ほどたってから。父・蜷川幸雄を亡くした年だった。

 明るいけれど、どこか暗い部分もあって、それでもみんな楽しそうだった、と蜷川。「この時期は故人が帰ってきているのだから、久しぶりに一緒にご飯を食べよう」と楽しい気持ちになっていいんだな、と腑に落ちたという。

「物事って、一つの側面だけじゃないですよね。おいしく食べているご飯のなかには“死”が入っているし、すてき! キレイ! だけのものなんてない。生と死、楽しいこととつらいこと。両方が含まれてる。父が亡くなったことは悲しいけれど、悲しむことばかりじゃないんだな、死ってそういうことなのかなと思えるようになりました」(蜷川)

「リメンバー・ミー」監督のアンクリッチが抱いた映画の視覚的イメージも、「死後の世界をカラフルに描く」。でも、それだけでは「映画」にならない。3年に及ぶメキシコでのリサーチと2度の「死者の日」訪問で、ストーリーを練り上げた。

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