もとはSansanの正社員として広報を担当していた日比谷さんが、マスコミ対応の範囲を超えて、社外のさまざまな人とネットワークを築いたのが始まりだ。社内のある部署でエンジニアを採用したがっていると聞けば、人脈を駆使して「いいエンジニア」を見つけてくる。「米国進出の先行事例を知りたい」と聞けば、現地事情に詳しい人をつなげる。おせっかい的な人助けを続けているうちに、それ自体を仕事にすればいいと「コネクタ」を名乗るようになった。

 昨年独立してからもSansanとは業務委託契約を結び、週の半分程度をコネクタとして働く。他の仕事はもともと、同社が副業を禁じていたために「課外活動」としてボランティア的にやっていたものがベースだ。それらを「仕事」にして報酬を得る形にした理由も、いかにもこの世代らしい。

お金が欲しいというより、本気でコミットしたいと思ったんです」(日比谷さん)

 人をつなげるのが好きな日比谷さんに、仕事とプライベートの別はない。ロックバーも、アナログレコード好きの友人たちと、自宅のガレージで飲んでいたのが原型。店にしたのは参加者が増えすぎて手狭になったからだ。資金はクラウドファンディングで集めた。店で知り合った客同士がつながって、仕事が生まれることも少なくない。

(編集部・石臥薫子)

AERA 2017年12月18日号