小山登美夫ギャラリーで蜷川を担当するディレクターの長瀬夕子によれば、蜷川の頭の中にはこの「目いっぱい」の展示の構成がきっちり入っていて、3カ月の間、大小の緻密なアップデートを繰り返してきた。内覧会の直前まで、展示の微調整が続いたという。


人との縁で実現した

 実は蜷川は、2016年に台湾の台北當代藝術館で個展を開いている。13万人が詰めかけ、美術館レコードを樹立。それでも「大陸」での個展は、決まっては中止になることが続いた。実現させたのは、北京天辰時代文化芸術発展有限公司董事長で、今回の主催者となった謝依辰(シャイーシャン)との友情だと蜷川は言う。

 蜷川と謝は16年の後半、知人の紹介で知り合った。その時のことを謝はこう振り返る。

「会った途端に、昔からの知り合いみたいに気が合った。主催するチャリティーイベントに招待して、また話をして、上海で個展を開きたいと聞いたんです」

 個展は1年足らずで実現。

「実花さんの色鮮やかで女性的な感覚あふれる作品に惹(ひ)かれています。日本を含め、コマーシャルの人だと思われているところがありますが、今回の個展を機に、芸術性の高いアーティストとして紹介したい」(謝)

 3年かけて中国国内を巡回させたいと謝は話す。

 謝が蜷川の写真に魅せられているように、蜷川も中国の女性たちに魅せられていた。

「とにかく女性が生き生きと働いている。名だたるファッション誌の編集者として取材にやってくるのは、20代半ばの女性たち。彼女たちには仕事だけではなく責任も立場もある。そんな上海だから、私の写真も受け入れられるんだと思うんです」

 京都造形芸術大学教授でアートプロデューサーの後藤繁雄は言う。

「大陸での個展は、日本人にとってはまだまだ難しい。蜷川実花は、人との縁を大切にしてきたからこそできた。この個展は、いま想像しているよりも、大きな未来につながっているんじゃないかと思います」(文中敬称略)

(編集部・片桐圭子)

AERA 2017年12月25日号