写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>
写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>
写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>
写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>
写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>
写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>
写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>
写真=NHK、NHK出版提供、朝日新聞社<きょうの料理年表(AERA 2017年11月13日号より)>

「もはや戦後ではない」から幾星霜。時代は変わっても、家庭料理は健在だ。テレビから流れる軽やかなあのメロディーと、レシピの数々。私たちの食卓は、どれだけ助けてもらっただろう。

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 9月下旬、NHKの110スタジオでは10月放送の「きょうの料理」の収録が行われていた。テーマは秋が旬のれんこん。

「れんこんは水の中にはなして(放して)いきます」

 と料理研究家の脇雅世さん。

「水の中にはなす(話す)?」

 後藤繁榮アナウンサー(66)のおなじみのダジャレを交えながら、収録はテンポ良く進んだ。

 国民的料理番組「きょうの料理」が今月、満60年を迎えた。産声をあげたのは1957年。経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言しながらも「国民の4人に1人は栄養欠陥」と見なされていた時代。番組創生期には江上トミや飯田深雪などフランスやアメリカからの洋行帰りの講師が、本格的な西洋料理を紹介し、「憧れの世界」を映し出していた。40年近く番組制作に携わってきたフリーディレクターの河村明子さん(70)は言う。

「この頃は煮物など和食のおかずはできて当たり前。わざわざテレビから学ぶ必要はなかったのです」

 60年代には視聴者の本格志向を受け、帝国ホテル料理長となる村上信夫や「辻留」の辻嘉一など、一流料理店のシェフたちが登場。強烈な個性と圧倒的な存在感を放った。その一方で、67年12月に初めて「正月料理」の特集を組むと予想を超える反響があった。

「核家族化が進み、和食の基礎を習える母や姑が近くにいなくなっていたのです。『きょうの料理』が代わる存在となりました」(河村さん)

 73年に石油ショックが起きると、4人分の夕食を500円で作る「経済的な献立」、共働き家庭が増えると「忙しい人のために」シリーズをスタートするなど、時代のニーズを反映した。79年、2千件の電話が鳴りやまないヒットとなったのは「成人病の食事」だ。栄養欠陥から飽食へ。時代は転換していた。

 80年代、女性の社会進出が進むと「料理に手間をかけられない罪悪感」という新たな課題が生み出された。救世主となったのが、合理的な料理を提案する小林カツ代だ。95年に始まった「20分で晩ごはん」の発案者でもある。90年代には栗原はるみを筆頭に「簡単、おしゃれ」な料理やライフスタイルで支持される料理家も登場。グッチ裕三や平野レミなど、料理の楽しさを伝えるエンターテイナー型料理愛好家も人気を呼ぶなど、バラエティー豊かな講師陣が番組を彩ってきた。

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