亀渕昭信(かめぶち・あきのぶ)/1942年生まれ。73年に制作チーフに。元ニッポン放送代表取締役社長(撮影/写真部・大野洋介)
亀渕昭信(かめぶち・あきのぶ)/1942年生まれ。73年に制作チーフに。元ニッポン放送代表取締役社長(撮影/写真部・大野洋介)

 深夜1時。家族が寝静まった後、ラジオのスイッチを入れると、聴こえてくるのはおなじみのトランペットの旋律だ。そのメロディーを聴くだけで、かつてのリスナーなら10代の酸っぱい記憶がリフレインしてしまうに違いない。

 ニッポン放送の深夜ラジオ番組「オールナイトニッポン(ANN)」が、10月、放送開始から50周年を迎えた。そこには、常にその時代の若者世代に寄り添い、新たな試みを続けてきた歴史がある。

 放送が始まったのは1967年。時代は高度成長期のただ中、東京オリンピックの影響でテレビが普及してラジオの広告収入が激減し、新たなリスナーの獲得が必要だった頃だ。当初活躍したのはアナウンサーや「しゃべれるディレクター」たち。そのうちの一人が、後にニッポン放送の社長も務めた亀渕昭信(75)。深夜放送の神様とも言える人だ。当の本人にそう言うと、「神様? 亀さま、の間違いだよ」。軽妙な切り返しは昔のままだ。当時は、放送作家もおらず、1人で選曲から進行まですべてをこなしたという。

 番組初期のニッポン放送編成局の資料に、番組のコンセプトがこう記されている。

「『夜』は寝る時間ではありません。『夜』は現在その概念をすっかり改めさせてしまいました。(中略)しかし、この深夜、ラジオを聴いている人々は極めて孤独です。個々に活動していながらその活動は非常に閉鎖的です。オールナイト・ニッポンの目的は、この孤独なさびしがり屋の若い人々に、若者の広場を作ろうということです」

「モーレツサラリーマン」が昼夜なく働き、学生は熾烈な受験戦争に勝ち抜くために徹夜で勉強にいそしむ。そんな孤独な若者にいかに寄り添うか。狙いを突き詰める中で、現在にも通じる番組の鉄則が生まれた。

「ラジオはマンツーマンのコミュニケーション。ターゲットをはっきりさせて、どこに住んでいる、何人家族のこの人、というところまでを想像したほうがしゃべりやすいし、企画も立てやすい」(亀渕)

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