中学時代はアマチュア無線に夢中でした。「コンバット!」という海外ドラマで無線機を使って通信しているシーンがかっこよくて。工学部を選んだのは、この経験からですね。

 高校からは、担任が数学の先生だったこともあり、一生懸命勉強しました。解答を写すなんてことはもうしなかった(笑)。2年生の夏休みまでに、数研出版の「オリジナル」という応用問題集を3年分、解いていました。私の高校は浜松では2番手で、仲のいい友人はみんな1番手に行っていた。「頑張らないと」という気持ちがあったのかもしれません。

 数学は全国でもトップクラス。静かな部屋で集中して勉強したくて、「ご飯よ」と声をかけられて怒った記憶があります(笑)。大学に入ってからは、さらに人が変わったように勉強しました。ある授業で聞いた「人と人とをつなぐのが工学」という言葉に感動してからですね。カリキュラムになかった量子力学を独学で学び、2年の時は海外の専門書も読んでいました。

 いま考えてみると、親や周囲から受けた教育でよかったのは、自分で考えさせてくれたこと。恩師の赤崎先生も、研究で自分の意見をおっしゃることはほとんどなく、学生の解釈を聞くのが上手な先生でしたね。(構成 編集部・市岡ひかり

AERA 2017年10月16日号より抜粋