森達也(もり・たつや)/1956年生まれ。テレビディレクターを経て映画監督、明治大学特任教授。著書に『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『死刑』『いのちの食べかた』など(撮影/写真部・小原雄輝)
森達也(もり・たつや)/1956年生まれ。テレビディレクターを経て映画監督、明治大学特任教授。著書に『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『死刑』『いのちの食べかた』など(撮影/写真部・小原雄輝)

 映像作品手がかりにフェイクな時代を考察する。『FAKEな平成史』の著者 森達也さんがAERAインタビューに答えた。

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<僕は歴史家でも評論家でもない。正面からの総括は荷が重い。だから平成という時代を考察する際の軸足に、この時代に制作した自分の映像作品を設定する>

 平成が間もなく終わろうとしている。この時代に多くのドキュメンタリーを発表、この国を覆う得体の知れない空気に一石を投じてきた森達也。本書は自身の作品を振り返りながら平成を「フェイクの時代」として考察したものだ。

 平成元(1989)年、森さんは32歳、番組制作会社のADであった。その後フリーランスのディレクターとして数々の番組を手がけ97年、最初の映画「A」を発表。日本中を震撼させた地下鉄サリン事件の2年後のこと。

〈あらためて思う。やはりこの国は疑似的民主国家であり、疑似的独裁国家なのだろうかと。共通する言葉は疑似的。つまりフェイクだ〉

 ここでは各章ごとに森さんの映像作品(「未完」「幻」に消えたものも含む)を取り上げ、「煩悶や考察の補助線を依頼」されたゲストと対話しながら、時代状況を浮き彫りにする。「放送禁止歌」「ミゼットプロレス伝説」「A」「A2」、そして最新作「FAKE」まで、いずれも何らかのタブーが絡んでいる。

「田原総一朗さんが東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターとしてドキュメンタリー番組を手がけていた頃(60~70年代)は、テレビ局というところは世間から外れた人間が行くところで、乱暴な番組も成立した。その後の一番大きな変化はテレビ局が優良企業になってしまったことでしょう。それと平成時代の大きな変化といえば、ショーアップすれば報道番組でも視聴率がとれる商品になったこと。ワイドショーと報道番組が接近したことかな」

 そんなテレビが変容する過程で2004年、「憲法」を統一テーマとした番組を企画することになり、「僕が天皇に会う(インタビュー)までの過程、それをインタビューにしようと考えました」。これが頓挫するまでの経緯を松元ヒロと語る、これが絶妙。今でも被写体としての天皇にこだわる。平成を考察する上で不可欠の存在であるからだ。

 あとがきでも触れていた日本人の集団主義と風まかせ。「ミサイル避難訓練」の異様な光景も、そのことを象徴する。この事態にあきれ果てていた森さんだが、もしディレクターとしてこのテーマを任されたとしたら……そんな番組が観たい。(ライター/田沢竜次)

AERA 2017年10月9日号