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国策で捨てられた満鉄 戦後民間扱いで元社員は苦労

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野村昌二AERA#鉄道

さまざまな顔を持った満鉄とは、一体何だったのか(※写真はイメージ)

さまざまな顔を持った満鉄とは、一体何だったのか(※写真はイメージ)

 元満鉄会の専務理事、天野博之さん(81)は言う。

「満鉄と、それまで満鉄線の警備と在留邦人の保護が任務だった関東軍との関係は、満州事変を機に関東軍が満鉄を支配する関係へと移ります。満鉄は、戦略物資の輸送路として重要性を増します」

●戦後苦労した民間扱い

 新線建設が盛んに行われ、鉄道路線は飛躍的に拡大。兵員輸送や武器、食料などの軍用貨物が優先されていった。

 だが、長期ビジョンを持たず場当たり的政策を行ってきた「国策会社」は、必然的に破綻する運命にあった。45年9月、満鉄は連合国軍総司令部(GQH)に閉鎖を命じられ業務を停止する。しかし、満鉄で働いていた職員は最大で約40万人おり、うち日本人は14万人近くいた。57年、満鉄の旧社員や家族らでつくる満鉄会は満鉄の在外財産の補償、もしくは社員を国家公務員とみなすことを求める請願書を政府に提出するが認められなかった。満鉄は「民間企業」だったとみなされ、社員は「民間人」とされた。満鉄で働いた引き揚げ者は「大陸侵略の先兵」といわれてきた。先の加藤准教授は言う。

「終戦に向かう過程で、日本政府の関心は唯一『国体護持』でした。海外の邦人をどう保護するのかという意識は欠落していた。大日本帝国時代の出来事をすべて切り捨て、植民地支配の歴史も消し去り、そこに住んでいた人びとは結果的に切り捨てられました。これが戦後日本の『国策』で、満鉄はその鏡です」

 戦後72年。多くの関係者が鬼籍に入っているが、満鉄の記憶と記録を風化させてはいけない。時代に翻弄された満鉄の教訓から、学ぶものは少なくない。(編集部・野村昌二)

AERA 2017年9月18日号


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