●今は本当に“過渡期”

 何をもっていい音楽なのか。プログラミングされた音楽が主流になる中、ギターを弾く、いわゆるアナログの存在意義をどこに見いだすか。

 やっぱり人が聴くから、ドラマを求める。CDをポンと押して再生するだけではそれがない。完璧ではあるけど。逆に言うと、完璧であれないことが人間としての醍醐味で、それが美しさなんじゃないかな。打ち込んだ音楽は完璧で、それに対して俺がギターを弾いても、完璧さでは勝てるわけない。でも打ち込まれたビートと、俺のギター、どっちが目の前の人の心を動かせるかっていったら、まだ負ける気はしないです。

 俯瞰して見た時に、ゆくゆくギタリスト自体が必要なのかというと、ぶっちゃけ、分からないです。今は本当に過渡期だと思います。目の前にいる人の心をギターで動かす。じゃあ、今、1960~80年代の最もロックが輝いていた時の仕様そのままでやるべきかというと、そうではないとも感じてる。だから今、DJとやったり、打ち込んだ音楽の上でギターを弾いたりしています。自分なりに今の時代とクロスオーバーしたやり方を見つけることが、ギタリストとしてのミッションなんじゃないかなと感じています。

 AIとフィーチャーも全然やってみたい。「ギタリストだからそんなことやらないよ」っていうのも、それはそれで格好いいかもしれないけど、時代の変化は自分では変えられないですから。その上で自分のスペシャリティーが生き残れるかどうか、むしろ、そこで闘わないといけない。

 AIが作る音楽に人が手を加えて聴くというのが人間にとってハッピーだったら、それでいいんです。でも俺たちの世代にとっては、もちろん悲しいこと。だけど、「悲しい」で終わらせちゃダメで、そこで自分たちがどうあることができるかということを考えていかないと、いつまで経っても変わらないですから。(構成/編集部・山口亮子)

AERA 2017年9月4日号